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三重の市民ら、フランスで学んだ“静かな”闘い方 反原発へ決意新た


 中部電力芦浜原発の建設計画が白紙撤回されてから2月で24年になる。当時の反対運動をリードした三重県南伊勢町の美容師、小倉紀子さん(81)は昨夏、同じように住民の反対で建設計画が撤回されたフランス西部の漁村を訪れ、反原発を訴える集会に参加した。デモが政治を動かしてきた国で、小倉さんらが驚いたというフランス流の“静かな”闘い方とは。【久野華代】

ハイキングに朗読「内面深める機会に」

 シュプレヒコールも、プラカードもなかった。大西洋に面したブルターニュ半島の漁村プロゴフで2023年8月27日、地元や近隣の英独などから約100人が集まった。虫の羽音が聞こえるほど静かな草原に響いたのは、ベラルーシ出身で原発事故をテーマにした作家スベトラーナ・アレクシエービッチの「チェルノブイリの祈り」を読む声だった。

 「思てたのと違うな。これがフランスの闘い方なんかな」。市民団体「原発おことわり三重の会」のメンバーらと、人生初の海外渡航を果たした小倉さんは、戸惑った。7日間の滞在中、欧州各地から集まった反原発運動家らと体験を語り合う一方、地元で恒例行事となっているハイキングにも参加した。

 プロゴフでは1975年に原発建設が持ち上がった。80年に地元の人たちによる阻止運動が展開され、81年に当時のミッテラン大統領が計画断念を決めた。11年3月の東京電力福島第1原発事故を機に、計画を撤回させた市民運動の成果を見直す機運が高まった。

 そこで地元の高齢者を中心に「プロゴフ闘争の記憶」という市民グループを結成。夏休み中で若者も参加しやすい8月の最終日曜日を「記念日」に決め、計画跡地とその周囲をたどるハイキングを毎年、開催することにした。計画跡地は大西洋にせり出す崖の上。計画の撤回によって守られた自然の景観を楽しみながら体を動かす。小倉さんによると、一行は午前9時半ごろに村の庁舎前を出発し、草原を歩いた。お昼は石造りの教会の前で、サラダやクレープなどの弁当を広げた。

 ハイキングのもう一つの仕掛けが、朗読だった。行く先々の休憩地点で立ち止まると、おもむろにギターの伴奏が始まる。手を挙げた参加者が、原発や核兵器による悲劇を表現した文学作品の一節を朗読し、人々は耳を傾ける。終わるとまた、次の地点へ歩く。プラカードを掲げた街頭デモが盛んに行われるフランスだが、それとはまた違った反原発運動だった。

 市民グループのジャン・モアリックさんは原発への傾斜を強める仏政府を批判しつつ、「毎年参加してくれる若者たちがプロゴフでの闘争の功績を知り、原子力の危険性に目を光らせる機会となっている」と説明する。

 小倉さんに同行した三重県伊勢市の林恵奈さん(47)は「これがなぜ反原発のイベントなのか、最初は分からなかった。朗読を聴くことに、最初はこっぱずかしさがあった。でも、可能性を感じた」と話す。多くの人が集まって反対意見を表明する街頭デモとは異なるやり方がむしろ、「原発への自分の決意を確かめ、内面を深める機会になった」と振り返る。

芦浜原発撤回の成果語り継ぐヒントに

 芦浜原発計画を巡っては、84年に三重県が原発関連予算を計上し、地元の旧南島町・古和浦の住民は反対派と推進派に二分された。小倉さんは、漁協理事だった夫正巳さんとともに反対運動の先頭に立ったが、家族や親戚も意見の食い違いから反目するようになった。県は00年2月に計画の撤回に追い込まれたが、前年の県の聞き取りに対し「地域破壊」と呼ばれるほど深刻な状況を訴えたのが小倉さんだった。

 岸田政権は原発回帰の方針に転じており、原発から出る核のごみや使用済み核燃料の行き先を、特に地方に求める議論が続く。元三重大教授の吉井美知子さんは「原発が『ない』成果は、何もしなければ風化する。プロゴフの取り組みは、各地でかつて起こった原発反対の市民運動を語り継ぐ参考になるのではないか」と語る。

 小倉さんは「いろんな反対運動のやり方があることを知った。芦浜の運動を『すごいな』と言ってくれて、遠いところにも仲間がおったんやなと感じられた」と話した。

   ◇

 小倉さんらは28日午後1時半から、津市の県総合文化センターでフランス視察の報告会を開く。入場料1000円。問い合わせは原発おことわり三重の会(090・5008・4532)。

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