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押し寄せる津波、「逃げろ!」叫んだ夫は行方不明 能登半島地震


 最大震度7を観測した能登半島地震は8日、発生から1週間が過ぎた。建物の倒壊や土砂崩れ、津波によって多くの人が犠牲になった。生き残った被災者も厳しい冷え込みの中、過酷な避難生活を余儀なくされている。

 それは一瞬の出来事だった。能登半島の突端・石川県珠洲市の海辺の集落に、津波が押し寄せた。一緒に逃げたはずの夫はいつの間にかはぐれ、1週間が過ぎたいまも行方が分からない。「波にさらわれてしまったのか。早く見つかってほしい」。残された家族は毎日、祈り続けている。

 「大好きな魚のことになるとこだわりが強くて、周囲が面倒になるほど。子供らには『もっと知識をつけろ』と。厳しいようで優しい夫です」。自宅のあった珠洲市宝立町鵜飼地区の避難所に身を寄せる濱市正子さん(54)は、行方不明となった漁師の夫鉄次さん(54)の写真に目を落とした。

 夫婦と息子2人、鉄次さんの母の5人で過ごしていたのどかな元日が、突然の激震によって暗転した。揺れの後、鳴り響いた津波警報。「早く行けっ、逃げろ!」。鉄次さんの声に促されて家を出ると、周囲の木造家屋の大半は1階部分が押し潰されていた。はがれた瓦が散乱する屋根の上を走るようにして逃げたが、振り返ると夫の姿はなかった。

 近くに住む市町俊男さん(75)が、避難する途中で鉄次さんの姿を見ていた。鉄次さんは崩れた集落に津波が押し寄せる中、足を引きずるようにして崩れた家の屋根に上り、座り込んでいたという。「鉄次君、逃げろ!」と声をかけたが、直後に市町さんは波にのまれて水中をぐるぐると転がった。どうやって逃げ延びたのか、無我夢中だったので思い出せないという。一緒に逃げた義父の衆司さん(89)は2日後、自宅から500メートルの場所で遺体で見つかった。波にのまれて亡くなったとみられる。

 濱市さんによると、鉄次さんは高校卒業後、魚をさばく仕事に就き、一度は地元を離れた。やがて、漁師だった父のためにと珠洲に戻り、同じ道を歩んだ。冬には、定置網にかかった大きなブリを見せてくれた。

 それでも、息子たちには違う夢を追ってほしかったようだった。いずれも地元の高校に通う長男鋼佑(こうすけ)さん(17)と次男拡耶(ひろや)さん(16)は「おやじは『漁師の仕事はきついぞ。もっと勉強して、別の仕事を選べ』とよく言っていた。テレビのクイズ番組や教育番組を見て知識をつけろ、とも。面倒くさがりなのに面倒見がいい、おやじらしい言葉だった」。濱市さんは「家でも魚をさばくのは夫の仕事。魚の目利きを自任していて私が切り身を選んで買ってくると、あれこれ文句を言ってねえ……」と振り返る。

 集落は津波で壊滅状態で、息子たちが通う高校も避難所となっている。生活再建のめどは立たない。「今はどうしていいか分からず、目の前の生活だけで精いっぱい。夫はどこでどうしているのか、どんな形でも見つかってほしい」【稲生陽、砂押健太】

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