starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

紅白審査員の寺田宜弘さん 36年間ウクライナで活躍する波乱の人生


 12月31日放映の「第74回NHK紅白歌合戦」でゲスト審査員を務めるのは、ウクライナで活躍する舞台芸術家の寺田宜弘(のぶひろ)さん(47)だ。ソ連時代にバレエ留学してから36年間、首都キーウ(キエフ)を活動拠点としてきた。今はロシアの侵攻にさらされる中で、国内最高峰のウクライナ国立バレエでトップの芸術監督の重責を負っている。

 京都市生まれの寺田さんはバレエ指導者を両親に持ち、幼い頃から舞台芸術に親しんできた。両親が主宰する「寺田バレエ・アートスクール」は1975年、ウクライナ共和国時代のキーウ国立バレエ学校と姉妹校の提携を結んだ。

小学生でキーウに留学

 寺田さんが初めてキーウを訪れたのは小学1年生のとき。両親に連れられて、本場の舞台を目にして、バレエ学校でレッスンも体験した。「ここでプロのダンサーになりたい」との思いを抱き、やがて両親が築いたパイプを生かす。87年にソ連の国費留学生となり、キーウでバレエを学び始めた。京都に残っていれば、小学5年生の2学期が始まるはずの9月だった。

 「夢があったから、一度も苦労したと思っていません」。そう振りかえる寺田さんだが、地元の生徒たちからは文房具を取り上げられたりして、手荒く出迎えられたと伝え聞く。それでもバレエ学校で学ぶこと8年間。卒業した95年には初心を貫き、ウクライナ国立バレエに入団した。すでにソ連は崩壊し、ウクライナが独立国として歩み始めていた。

一流ダンサーから指導者へ

 一流ダンサーの証しとされるソリストとして本場の客を沸かせたが、膝のけがにも悩まされた。30代半ばで舞台から降りる決意をすると、バレエ指導者に転身。2012年に母校のキーウ国立バレエ学校の芸術監督に就き、後進の指導を始めた。21年に古巣のウクライナ国立バレエに副芸術監督として戻り、翌年12月に芸術監督に就いたのだ。

 ロシアによる侵攻が続くさなか、ウクライナ最高峰のバレエ団を率いてから1年がたつ。12月下旬から始まった日本公演は24年1月半ばまで続く。年の瀬には埼玉県川越市で公演を催し、直後に地元の高校生から取材されるイベントに出席した。

空襲警報の中、リハーサル

 キーウでは「1日に5回も6回も(空襲警報の)サイレンが鳴る日がたくさんある。それでも日本の多くの人に見てもらいたいという気持ちがあったから、リハーサルを続けてきた。今日の公演で大きな拍手とブラボー(という歓声)をもらったのが、その結果でした」との思いを明かした。

 困難を伴ったソ連時代の渡航、独立後のウクライナの混乱、戦時下で続ける芸術監督の仕事――。波瀾(はらん)万丈の36年間を過ごしてきたが、常に前を向いている。「戦争は必ずいつか終わります。終わった後に、ウクライナの(芸術の)美しさを知ってもらうのが私の大きな仕事です」。このような使命感も持ち、寺田さんは日々の舞台に臨んでいる。【大前仁】

    Loading...
    アクセスランキング
    starthome_osusumegame_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2024
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.