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“日本語強要” 教え子たちへのしょく罪、生涯忘れず 102歳死去


皇民化教育後悔

 戦前、日本の植民地時代の朝鮮で小学校の教壇に立ち、皇民化教育を続けたことを反省し、戦後は反戦平和に力を尽くした富山市の杉山とみさんが22日、亡くなった。102歳だった。葬儀は近親者で営んだ。

 杉山さんは1921年、両親が移住した先の大邱(テグ)で生まれた。現地の女子師範学校を卒業後、太平洋戦争が始まった41年、今の小学校にあたる達城国民学校で初めて教壇に立った。当時、現地では朝鮮語教育が禁じられ、子供たちは日本名に改名させられた。杉山さんも軍歌を教え、神社に参拝させるなど皇民化教育に協力した。「戦争中とはいえ純真な韓国の子どもたちに日本語を強要した」と生涯、自分の傲慢さを後悔した。

教え子らと交流

 また、教え子の1人が「仕事をしながら勉強も習い事もできる」との甘言につられ、富山市の工場「不二越」の女子挺身(ていしん)隊となった。その後93年に、日本政府に強制労働などへの謝罪と賠償を求めた「関釜訴訟」の原告として来日し、杉山さんは彼女と再会。空腹のまま長時間働かされ、郷里では「非国民」と陰口を言われたうえに戦後は女子挺身隊への偏見のため、正式な結婚もできなかったという体験を聞き、証人として出廷するなど、原告側を支援した。

 杉山さんは戦後、謝罪の気持ちから度々訪韓し、教え子たちと交流を続けたほか、講演会などで自分の体験を語り、「統治される側の苦しみ、屈辱がどんなにひどいものか、忘れてはいけない」と平和と反戦を訴え続けた。この活動は2012~13年に本紙「平和をたずねて」で連載され、著者の広岩近広・元毎日新聞専門編集委員が単行本「戦争を背負わされて」(岩波書店)にまとめた。

同人誌に体験記

 同人誌「旅想」でも10年以上前から体験をつづり、今年4月発行の第103号では「さようなら」と題し最期の短文を寄せた。同誌を発行する「旅の記憶を留(とど)める会」の橋本哲代表(74)=富山市=は「たくさんの教え子から慕われた情の厚い人だった。戦前のしょく罪の気持ちを常に持ち、しっかりとした記憶に基づいた正確な文章を寄せてくれた。生き方の見本のような人でした」とその死を悼んだ。【青山郁子】

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