starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

2年近く宿泊者ゼロ、なぜなのか 「第1号宿泊者」として考えた


 開設してから2年近く誰も宿泊したことのない施設がある。阿武隈山系の中腹、標高約500メートルに位置するこの施設に、記者が村民と共に宿泊者第1号として1泊した。2日間滞在して村民と語らい、この地域が抱える課題を考えた。

2人しか暮らしていない地区

 「誘われなければ、わざわざここに泊まることもなかったよ」。9月29日、施設がある福島県葛尾村野行(のゆき)地区で副行政区長を務める大沢義伸さん(70)が笑顔で迎えてくれた。

 野行は村北東部に位置し、東京都渋谷区より少し大きいくらいの約1600ヘクタールの面積がある。2011年3月の東京電力福島第1原発事故で、村は全村避難を一時余儀なくされ、中でも事故前に126人が暮らしていた野行は13年3月に村唯一の帰還困難区域に指定された。

 18年4月には除染やインフラ整備を集中的に進めて帰還できるようにする「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)が野行の約6%に当たる95ヘクタールに設定され、それから4年後の22年6月にようやく避難指示が解除された。

 人が再び住めるようになるまで11年以上かかった野行に現在暮らしているのは2人の夫婦だけだ。大沢さんも原発事故前に母と野行で暮らしていたが、木造平屋建ての自宅は野生動物に荒らされて住める状態ではなくなり、19年に解体した。自宅周辺の除染が進み、年4回ほど避難先の福島県三春町から草を刈りに来ることはあっても宿泊したことはこれまでなかった。

 村は21年11月末、自宅を解体した住民らを対象に宿泊交流施設を開設した。土地の造成や建築には県の助成金などを活用し、約7600万円かけて整備。木造平屋建ての5DKで、風呂、トイレ、エアコンを完備している。電気やガスの基本料金の月額約7000円は村が負担し、無料で宿泊できる。

 しかし、多くの村民が車で1時間ほどで行き来できる三春町の復興公営住宅など県内で暮らしているため、この日まで宿泊者はゼロだった。

ままならないインフラ整備

 午後5時半を過ぎると、辺りは徐々に暗くなってきた。雲間から顔を出した満月が、暗闇に包まれた野行を優しく照らした。

 「村民以外の希望者にも使ってもらった方が有効活用できますよね」。記者が問いかけると、大沢さんは「村役場が何か考えてあげてもいいよね」とうなずいた。宿泊は野行の住民限定だが、今回、記者は同宿者として宿泊が許された。

 庭先で炭火を囲みながら肉や野菜を焼いて食べ、ビールのグラスを傾けた。食材は大沢さんが調達してくれた。

 野行には食料品を販売している店はなく、8キロ離れた村中心部まで行かないと買い物ができない。村内唯一の診療所も診療日は週1日だけで、村に薬局はない。急病の場合は近隣の自治体に行かなければならない。生活インフラの整備がままならないことが、多くの村民が帰還に踏み切れない要因の一つになっている。

 「本来ならここで暮らしたいけど、現実としてはやっぱり住めないから。三春の方が便利だし、病院も近い」。大沢さんはそうつぶやいた。いつの間にか吐く息が白くなっていた。

 午後8時を過ぎると、目の前の県道を行き交う車はめっきり減った。秋虫の鳴き声に混ざり、ドッドッドッという建設工事の音が遠くで響いていた。

「古里がなくなってほしくない」

 翌朝、食パンにブルーベリージャムを塗って食べ、牛乳を飲んだ。室内の掃除を済ませた後、大沢さんが「お気に入りの場所がある」と言って案内してくれた。かつてあった自宅の近くを流れる小川で、幼少期には妹や同級生らと遊んだ思い出の場所だ。

 「やっぱり古里がなくなってほしくないという思いをみんな持っているんだと思う。だから草刈りでも何でもするために、ここに来るんだよな」。そう言って、川の水を両手ですくった。酷暑の中で草刈りをした時は足を川に入れて涼んだ。なんとも言えない心地よい時間なのだという。

 野行に帰還した2人は、大沢さんの妹の内藤光子さん(65)と夫の一男さん(66)の夫婦だ。記者は以前取材でお世話になった内藤さん宅周辺の草刈りを手伝った。

 自宅を建てたのは原発事故の3カ月前。周りの家は次々と解体されていったが、再び野行で暮らしたいという思いは変わらなかった。

 四季折々で異なる表情を見せる野行の風景を見つめ、一男さんは「戻って来てよかった。この景色を眺めながら本当にそう思えるようになってきた」とかみしめるように言った。不便はあるものの、村の行事やヨガ教室に参加し、車で片道40分かけて村外に行く買い物も気分転換になっているという。

 記者は草刈りのための軍手を持ってくるのを忘れた。こんな時に近くにコンビニエンスストアでもあったらと思う。しかし、夫婦は不便な暮らしも楽しみながらその土地にかけがえのない価値を見いだしていた。

 住民の思いを知るには、1泊2日では短すぎたかもしれない。そんな中でも気になったのは野行で若者を一人も見かけなかったことだ。帰還者を増やすにも移住者を増やすにもまずは多くの人に野行を訪れてもらい、生活の現実と魅力を知ってもらうことが大切ではないか。宿泊交流施設をもっと活用することを考えてもいい。それが、大沢さんが口にした「古里がなくなってほしくない」という願いにつながっていくと思った。【肥沼直寛】

    Loading...
    アクセスランキング
    starthome_osusumegame_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2024
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.