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鬼滅ファンも注目 歴史から突然消えた竈門一族 神社に人食い鬼伝説


 鎌倉から室町時代にかけて大分県別府市亀川周辺を治め、その後歴史から突然消えた竈門(かまど)一族がテーマの講演会「鎌倉時代の別府と竈門氏の謎」が市公会堂で開かれた。竈門氏は、人気漫画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」との共通点が多いことから近年注目が集まった経緯があり、別府大の飯沼賢司前学長(日本中世史)の解説に、歴史ファンら約80人が聴き入った。【大島透】

 竈門氏の記録は、歴史上断片的にしか残っておらず、最初に登場するのは1285年(鎌倉時代)の竈門貞継。その姓は、亀川周辺の荘園を意味する「竈門荘」に由来すると言われる。

 飯沼氏によると、竈門荘という地名は「749年に聖武天皇の命令により竈門荘の田数100町が弥勒(みろく)寺へ編入された」という奈良時代の記録の中に出てくる。

 弥勒寺とは、宇佐神宮境内にあった巨大な寺のことだ。宇佐神宮は当時、九州全体に広大な荘園を所有。別府一帯もその中に入っており、竈門荘も事実上、宇佐神宮の領地だったという。

 その竈門荘を支配する一族が竈門姓を名乗ったと言われ、別府市野田の山中には竈門氏の墓所である五輪塔群が残っている。

 「鬼滅の刃」の主人公、竈門炭治郎が同じ姓であることや、竈門氏と関連があるとされる八幡竈門神社に伝わる人食い鬼の話も漫画との共通点があるため、一時は多くのファンが「聖地巡礼」として神社を訪れた。

 だが、竈門氏の足跡は、1585年の竈門鎮意を最後に途絶える。竈門氏の家系図は現存せず、竈門姓の人も県内にはいない。飯沼氏も「竈門氏は歴史学上、謎の一族で、これ以降の消息はたどれていない」と話す。

 竈門氏は、室町時代には豊後国を治めた大名、大友氏の家臣だったことが分かっている。その大友氏は、豊臣秀吉の朝鮮出兵時の不手際で領地を没収された後、関ケ原の戦いでお家再興をかけて戦ったが、敗れたため、飯沼氏は「大友氏とともに消滅したとも考えられる」との説を語り、講演を締めくくった。

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