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元小倉玉屋社長、田中丸善昌さん死去 90歳 街づくりに貢献


 元小倉玉屋社長で北九州音楽協会や小倉茶道協会の会長などを務めた田中丸善昌(ぜんしょう)さんが18日、90歳で亡くなった。小倉北区で22日営まれた葬儀には約150人が参列。「ゼンショウさん」と呼ばれ親しまれた田中丸さんの人柄をしのんだ。

 田中丸さんは福岡玉屋、小倉玉屋創業者の故・田中丸善八氏の次男として生まれ、1958年、現在の小倉北区室町にあった小倉玉屋に赴任。78年から閉店した2002年まで社長を務めた。「店づくりは街づくり」という父の教えに従い、街と共に発展する百貨店経営に力を尽くした。

 「紫川以西に人を寄せることが使命」が口癖だった。室町地区はかつて国鉄小倉駅を擁する有数の繁華街だったが、1958年に駅は現在地の小倉北区浅野に移り、人出は激減した。田中丸さんは住民らと西小倉地区再開発協議会をつくり、自ら会長に就任して駅の復活運動を展開。74年に西小倉駅の開業にこぎつけた。

 「音楽を通じた住みよい街づくり」も提唱した。俳人の故・横山白虹(はっこう)氏らと共に、関西以西の公共施設では初となる、小倉北区大手町の九州厚生年金会館(現北九州ソレイユホール)へのパイプオルガン設置に向け、期成会を結成。約2億円の寄付金を集め84年に実現にこぎつけた。自身も大の音楽愛好家でピアノやウクレレを演奏。95年には地域にライブハウスを兼ねたレストランを開き、「室町をおしゃれでシニアがくつろげる場所にしたい」と夢を膨らませた。

 小倉玉屋社内に小倉祇園太鼓のチームを作り、企業団体の祭り参加に道を開いたのも田中丸さんだった。玉屋閉店後も地元への愛情は変わらず、2004年には善八氏が集め、小倉玉屋でも公開していた九州古陶磁の名品「田中丸コレクション」の北九州市への寄託を申し出た。

 玉屋跡に建つ「リバーウオーク北九州」内の北九州市立美術館分館の提供が田中丸さんの希望だった。だが、市の展示構想と折り合わず頓挫。国の重要文化財を含む410点は福岡市美術館と九州国立博物館(太宰府市)に委ねられた。

 22日の葬儀では妻の寿子さん(83)があいさつ。「この地に六十数年。活気あるよい街を願いつつ過ごした人生でございました」と感謝の言葉を述べた。法名は「法響院釈善優」と授かった。

 元小倉玉屋社員で閉店後、一部業務を引き継いだ「サンローズ」社長の崎山盛久さん(72)は「文化人でもあった、まれな経営者。誰にも分け隔てなく接する優しい人柄が心に残る」と振り返った。【伊藤和人】

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