starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

妊娠中に夫亡くした67歳、待望の初孫に感謝 日航機墜落38年


 乗客乗員520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から12日で38年を迎えた。夫を失った小澤紀美さん(67)=大阪府豊中市=は、長男の秀明さん(37)=兵庫県芦屋市=とともに墜落現場「御巣鷹(おすたか)の尾根」(群馬県上野村)を慰霊登山した。あの夏、おなかにいた秀明さんは夫の年齢を上回り、2022年3月には父になった。「私をおばあちゃんにしてくれてありがとう」。小澤さんは夫の名が記された銘標に穏やかな表情で手を合わせた。

 「自分の人生に、こんなにいいことが起こるなんて思ってもみなかった」。秀明さんに長女(1)が生まれた日を思い出すたびに、小澤さんには、柔らかな笑みがこぼれる。事故があってから、一日一日を送るだけで精いっぱいだった。

 1985年8月12日、包装機器メーカーで働く夫の孝之さん(当時29歳)が東京への日帰り出張から戻るのを自宅で待っていた。地域のバレーボールチームで知り合って結婚し、当時は妊娠4カ月。孝之さんもおなかに耳を当てながら、新しい家族を心待ちにしていた。「ほんとに幸せだなって思っていました」

 だが、孝之さんを乗せた羽田発の日航123便は午後6時56分、伊丹空港に向かう途中に墜落した。身重の小澤さんは、御巣鷹に向かうのを止められた。代わりに現場に行く実兄に、バレーボールを供えてきてほしいと頼んだ。球には「立派な子供を生みます。天国から見守ってください」とメッセージが書かれた。

 翌年に秀明さんが生まれ、3DKの公団住宅で2人暮らしが始まった。夫婦の思い出をたくさん話した。「お父さん、何でも『これおいしい』って食べてくれたんよ」「ここの体育館にバレーボールの練習でお父さんと一緒に行ってん」。自分の胸の中に夫がいるように、秀明さんの中にも父親がいてほしいと願った。

 ふと、寂しさに襲われたり、仕事に疲れて帰宅したりした時も、秀明さんは学校での出来事を面白おかしく話して笑わせてくれた。

 秀明さんは2018年に結婚。首も座らない長女を抱き上げて「父は楽しみにしていた我が子に会えないまま旅立ってしまったんだ」と改めて思った。風邪を引いた長女が夜中ぐずって眠らない時、「僕たちはうれしいこともしんどいことも夫婦で共有できる。母は1人だったから大変やったやろな」と気づいた。

 今年の父の日。「父親になったんだ」と実感したという秀明さんは、LINE(ライン)で「よく頑張りました」と母にねぎらいのメッセージを送った。小澤さんは「ありがとう。あなたがいたから、生きてこられた」と返信した。

 若々しい笑顔を浮かべる孝之さんの遺影の隣には、一家で孫娘を囲む写真が何枚も並んでいる。孝之さんが見ることのできなかった世界を、小澤さんたち家族は生きている。「孫という新しいプレゼントをもらったんだから、もう少し頑張れ。もうちょっと、この世界を楽しんで」。小澤さんは、亡き夫にそう言われている気がしているという。

 今も、夫を奪われた悲しみや怒りは消えない。だが、事故直後は「どうしてそばにいないの、返して」と脇目も振らずに目指した尾根も、いつしか「今年も来られてよかった」と落ち着いた足取りで訪ねている自分に気付いた。この38年間、縁があった数え切れない人に思い出を話すことで、会えないはずの夫を、身近に感じられるようにもなった。

 「今年も頑張って登ってきたよ」。12日、孝之さんの骨の一部が見つかった場所に建てた銘標に、秀明さんとともに声をかけ、猛暑で一緒に来られなかった孫娘のアルバムを見せた。高齢化で慰霊登山ができない遺族らに配慮して通信環境が整備されたため、小澤さんはスマートフォンで孫娘とビデオ通話し「いつか来ようね」と語りかけた。

 「パパはお父さんがいないけれど、こんなに大きくなったんだよ」。大変なことがあっても、自分なりの道を見つければ生きていける。いつか孫娘にそう伝えたいという。【日向梓】

    Loading...
    アクセスランキング
    starthome_osusumegame_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2024
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.