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脳梗塞に倒れた47歳の花火会社社長、憂いが消えた病院でのある夜


 これから会社はどうなるのか。新型コロナウイルス禍で花火大会は次々中止になり、自らは病魔に侵された。70年以上続く老舗花火会社の3代目社長、古賀章広さん(47)は病室で落ち込んでいた。それから1年後の今、4年ぶりに復活する大阪・天神祭の奉納花火(25日)の準備にいそしんでいる。憂いが消えたきっかけは、入院先の病院での出来事だった。

花火師の厳しさ知った修業時代

 古賀さんが社長を務める「葛城煙火」(大阪市西成区)は1950年、古賀さんの祖父が創業した。家庭用花火の製造会社としてスタートし、2000年に父親が後を継ぐと、この頃から打ち上げ花火の製造も始めた。大阪の夏の風物詩・天神祭の奉納花火は06年から任されている。

 古賀さん自身は一時、花火とは違う道も志した。高校生や専門学校生時代、ストリートダンスに熱中し、プロを目指した。けがで断念した後は、ワーキングホリデーでカナダに1年間住んだこともある。将来を模索するなか、祖父の勧めもあって22歳で家業を継ぐ決意をした。

 しかし、花火製造の仕事は甘くなかった。入社後すぐに親族の知り合いの会社(山梨県)に2年間の修業に出た。そこで大きな失敗をする。点火の担当者だった古賀さんは、最後を飾る大玉の花火を誤って途中で打ち上げてしまった。当然怒られたが、花火師たちが悔しがる姿に一つ一つの花火に込められた思いの強さを知った。「職人の世界で戦っていくために力をつけないといけない」と痛感したという。

ビルの隙間から見えた花火に歓声

 14年に3代目を継いだものの、新型コロナが襲う。年間約130件の花火大会を担当していたが、ほとんどが中止となり、会社は苦境に立たされた。コロナ禍でブームが広がったキャンプ用に音や光、煙を抑えた花火を開発するなど何とかやりくりしていた。

 社員12人の会社を守ろうと必死だった22年5月、休日出勤した工場で突然、脳梗塞(こうそく)を患って倒れた。別の場所にいた社員を内線で呼び出して命に別条はなかったが、入院生活を余儀なくされた。

 会社の行く末を心配しながら、鬱々として病室で過ごしていた8月下旬の夜のことだ。近くで花火大会があった。入院先だった大阪市内の病院10階の廊下窓から、ビルの隙間(すきま)に花火が見えた。入院患者らはベッドから起き上がり、テレビを消す人もいた。「上がったぞ」「見えた」と声を上げ、手をたたいて喜んだ。

 古賀さんにとって花火が上がるのは見慣れた光景だが、患者らを見て「こんなふうに人の心に届いていたんだ。花火師って良い仕事やな」と改めて気付かされたという。

「苦しんできた人たち元気づけたい」

 11月に仕事に復帰すると、工場のある奈良県と、本社のある大阪を行き来している。脳梗塞の影響で左半身にまひが残り、普段は車椅子で生活している。花火について「一瞬の輝きを一生の思い出にしてもらう。花火師はそのために人生を懸けているんです」と熱い気持ちを語るが、口がうまく動かず、話しづらさも残る。

 打ち上げ花火は江戸時代に疫病退散の思いを込めたのが起源とも言われる。自身の脳梗塞からの復帰と歩調を合わせるように、コロナ禍で3年連続の中止となっていた天神祭の奉納花火が25日、4年ぶりに打ち上げられる。古賀さんは「コロナで苦しんできた人々を元気づけたい。自分も大変な経験があったからこそ、人に笑顔と感動を生む花火の力を知ることができた。あの入院患者さんたちのように待ち望んでくれる人たちのため、天神祭では盛大な花火を打ち上げたい」と意気込んでいる。【平家勇大】

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