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いなりずしが最後の手料理に 75歳女性、豪雨犠牲の姉に胸痛め


 2018年の西日本豪雨から5年を迎えた6日、95人(うち災害関連死34人)が亡くなるなど甚大な被害を受けた岡山県の倉敷市や総社市では追悼式が開かれ、遺族らが犠牲者を悼んだ。【平本泰章】

「心の復興にはまだ時間」岡山で追悼式

 75人が亡くなった倉敷市では、同市真備町箭田(やた)の文化施設「マービーふれあいセンター」で追悼式があり、遺族ら約210人が参列した。伊東香織市長は式辞でこの5年の復興状況に触れ、「一人一人にしっかり寄り添っていくとともに、豪雨災害の教訓を生かし、地域の防災活動、災害の記憶伝承、流域全体での治水の取り組みなどを進める。災害に強いまちづくりを進めて、真備の復興と今後の発展に向けて取り組む」と決意を述べた。

 住民代表であいさつに立った真備地区まちづくり推進協議会連絡会の高槻素文会長(75)は、「日を増すごとに安心して暮らせるまちに近づいていると実感している」としつつ、「心の復興にはまだまだ時間がかかるのではと感じている。各地域独自のイベントに全力で取り組むなど、地域住民のつながりを大切に未来に向けて進んでいく」と語った。

「私の防災意識が高ければ…」

 西日本豪雨から5年の歳月が流れたが、遺族の胸の奥に潜む悲しみ、悔いが、消えることはない。

 「私の防災意識が高ければ、姉の命を救うことができた」

 倉敷市真備町市場の浅原育子さん(74)はこの時期、雨が降り始めると「お姉ちゃんに怖い思いをさせた」と、さいなまれる。同町有井で1人暮らしをしていた6学年上の姉、斎藤庚恵(かなえ)さんを失った。75歳だった。

 家は2キロほどしか離れておらず、浅原さんの自宅は浸水を免れた。「いつも家を行ったり、来たり。何かあったら、相談していた」と懐かしむ。「けんかもしたけれどね」と、泣き笑いになった。

 姉は料理好きで、岡山名物のばらずしが得意だった。しょっちゅう、近所の人たちにふるまう。あの日。2018年7月6日も、そうだった。「いなりずしをたくさん作った」と持たされて、浅原家の夕飯となった。

 夜になって「まだ残っている」と電話がかかってきた。「明日にでももらいに行くわ」と答えた浅原さん。最後の会話だ。「明日」は来なかった。

 倉敷市児島の片岡由加里さん(51)は、夫修二さん(50)の両親、吉松紀行さん、千代子さんを亡くした。78歳と72歳。仲の良い夫婦で、真備町川辺の平屋に住んでいた。

 「助けられたのではないか」と胸が痛む。7日早朝、紀行さんから電話があった。片岡さん宅の様子を心配したものだった。最中に状況は一変する。「水が入ってきた」「畳を積んで、その上に乗っとる」「助けが来んのじゃあ」「寒いんじゃあ」。悲痛な叫びだった。

 片岡さんは何度も「いけん。逃げて」と伝えたが、「ここにおる」との返答だった。紀行さんの膝の具合が悪かったことが原因かもしれない。それでも……。「せめて近くの2階建ての家に避難するように、もっと早い段階で勧められた。なぜ、そうしなかったのか」。無念が残る。

 春はいつも、真備名産のタケノコを持って来てくれた。片岡家の庭木の枝切りは、紀行さんの役割だった。そう言えば、今年はタケノコを食べていない。庭の枝が伸びている。【堤浩一郎】

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