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消えるポスター、事務所閉鎖、後援会は… 安倍氏地元・下関のいま


 2022年7月8日、奈良市で参院選の応援演説中に銃撃されて死亡した安倍晋三元首相(当時67歳)。山口県下関市は安倍氏の父晋太郎氏の時代から、親子2代にわたり地盤となってきた。事件から間もなく1年を迎え、安倍氏に近い地元の関係者は在りし日に思いをはせる一方、市民の間では安倍氏の存在感が薄れつつある。

 23年7月2日、下関市の厳島神社。かつての安倍氏の支持者ら約30人が集まり、安倍氏の一周忌を前にしのぶ会が開かれた。同神社青年神輿(みこし)会の名誉会長を務めた安倍氏の名前が入った法被や安倍氏の写真が掲げられる中、参加者は安倍氏の思い出を語り合った。

 「ショックで何日間か記憶がない」。事件直後の状況について、下関観光コンベンション協会会長で同神社の総代会長、冨永洋一さんが振り返る。「日本が元気に、素晴らしい国になるようにすることが、私たち一人一人に(安倍氏から)課せられた使命だと思う」と言葉をかみしめた。

 安倍氏をよく知る市民にとって、事件から1年が過ぎても「亡くなった実感がない」という声は少なくない。生前に親交があった茶道家の和田虔二郎さん(81)は「(安倍氏が銃撃された)『7月8日』という日付は忘れないだろう」と静かに語る。

 下関市は衆院の中選挙区制時代、旧山口1区に含まれ、安倍氏の父で外相も務めた晋太郎氏が地盤としていた。晋太郎氏の死で1993年衆院選に立候補した安倍氏も、旧山口1区から初当選。小選挙区制が導入された後も、下関市のある山口4区で当選を重ねてきた。

 だからこそ、下関市では安倍氏が銃撃された直後、衝撃が走った。

 当時、地元の安倍事務所には献花台が設置され、市役所に設けられた記帳台には8日間で3319人が訪れた。22年10月に下関市であった県民葬には、国会議員や海外関係者ら約2000人(主催者発表)が参列。安倍氏の議席を巡り争われた23年4月23日の山口4区補欠選挙も、後継の吉田真次氏が当選した。

 ただ、補選を境に、安倍氏の「存在」は下関市でも表舞台から徐々に退いてゆく。

 安倍事務所は吉田氏の事務所となり、入り口に掲げられていた安倍氏の看板や、壁に張られた「この国を守る。」と書かれた安倍氏のポスターは撤去された。市内各所に立てられた自民党の広報板や支援者宅などに張られていた安倍氏のポスターは、大半が吉田氏のものと交代。安倍後援会は、伊藤昭男会長が補選後に退任するなど事実上、解散状態となった。

 安倍氏の初当選時から支えてきたという後援会幹部は「政治や選挙活動への意欲を失った。もう関わる気持ちはない」と明かす。

 その吉田氏も、次期衆院選は地元の小選挙区から立候補できない。衆院小選挙区の「10増10減」に伴い、山口県内の小選挙区数は4から3に減る。下関市は新3区に再編されたが、自民党の公認候補予定者は吉田氏ではなく、林芳正外相に決まった。はじき出された格好の吉田氏は比例代表に回るからだ。

 林氏の父で蔵相も務めた義郎氏は中選挙区時代、晋太郎氏と下関市で争いを繰り広げた因縁がある。安倍氏の妻昭恵氏は吉田氏を小選挙区で処遇するよう党本部に掛け合う一方、自身も吉田氏の後援会長に就任して吉田氏を後押ししたが、かなわなかった。地元では安倍氏が築いた地盤が揺らぎ、求心力が低下するとの声も聞こえてくる。

 関係者が安倍氏への思いを断ち難い一方、市民から見えなくなりつつある安倍氏の「存在」。下関市でジェラート店を営む原野裕さん(48)は淡々と話した。「自民の関係者や安倍氏と親交の深い人、恩恵を受けた人ではない、ほとんどの一般の市民には、銃撃から1年といっても、どうという思いはない」【大坪菜々美、橋本勝利】

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