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今でも消えぬ「なんとか逃げていて」 九州豪雨3年 八代市で追悼式


 熊本県内で69人の死者・行方不明者を出した九州豪雨災害から4日で3年となるのを前に、甚大な被害が出た球磨川流域など県内各地で2日、追悼行事が執り行われた。遺族や被災住民らはあの日、一夜にして古里を奪われ、大切な人を失った悲しみを胸に、復興への思いを新たにした。

 「令和2(2020)年7月4日、忘れもしません」。4人が亡くなり、1人が行方不明となった同県八代市坂本町であった追悼式。遺族ら約30人が参列する中、地域住民を代表して坂本町市政協力員校区会の平野和臣会長(74)が「追悼のことば」を述べた。

 平野さんは豪雨当日の午前5時半ごろ、自宅の下まで濁流が迫ったのを見て、持病の薬や非常食などを持って高台に駆け上がり、難を逃れた。自宅は半壊して約1カ月間、妻(75)とともに地元の福祉センターで避難生活を送った。

 避難中も平野さんは住民の先頭に立ち、福祉センターを拠点に活動するボランティアの配置を考え、災害ごみの分別方法などの課題を市に伝えた。仮住まいを経て現在の自宅に移り住むことができたのは、発生から約4カ月後だった。

 この地域で亡くなった4人はいずれも顔見知りだった。「町民みんなが避難して助かっていてほしい」との願いむなしく、犠牲者が出たのを知ったのは、発生から数日後。「なんとか早く逃げていてくれれば」との思いは3年たった今も消えない。

 平野さんはこの日、若者の流出や高齢化が進む地域の現状に触れ「笑顔で暮らせる生きがいあふれたまちづくり」を誓った。被災前に戻れないことは分かっている。それでも残った住民が手を携え、古里再建へ前に進むしかない。「『おらがふるさと坂本町』を合言葉に、復興に向けた活動を進める」。平野さんは追悼のことばをこう締めくくった。

 追悼式には遺族らも参列した。災害で亡くなった稲荷正一さん(当時81歳)のおいの蓑田政晴さん(72)=八代市=は「優しいおじで、今も夢に見ることがある。あっという間の3年だった。今も残念でならない」と語った。【西貴晴】

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