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秋葉原殺傷で夫亡くした女性、もう増えない「2人の写真」と共に


 東京・秋葉原の歩行者天国で男女17人が死傷した無差別殺傷事件は8日、発生から15年を迎えた。2022年7月に加藤智大死刑囚の刑が執行されて以降、初めてとなる「6月8日」。現場となった交差点には早朝から犠牲者の友人らが献花に訪れ、冥福を祈った。

遺影に「早く私も連れて行って」

 事件で犠牲となった中村勝彦さん(当時74歳)の妻槙子さん(89)=東京都杉並区=が取材に応じ、重い口を開いた。

 「あの日と同じように青空の広がる日は、長男と肩を並べて出かけていった夫の姿を思い出すんです」

 2008年6月8日、夫は朝からうれしそうだった。半世紀近く続けてきた歯科医を引退したばかりで、余生は趣味のカメラとともに、槙子さんと日本中を旅して過ごすことにしていた。出かける時はいつも夫婦一緒だった。

 でも、この日は違った。長男と「父子水入らず」で、新しいカメラを選びに行くのを楽しみにしていた。「ご飯は外で済ませてくるからね」。それが最後の会話になった。

 勝彦さんはそうして訪れた秋葉原で、歩行者天国の交差点に暴走してきた加藤智大元死刑囚=22年7月に刑執行=のトラックにはねられ、死亡した。

 昼過ぎに槙子さんがテレビを見ていると、「秋葉原で男が刃物を振り回している」というテロップが画面に映った。胸騒ぎがし、慌てて長男の携帯電話を鳴らした。「お父さんがやられた」。ようやくつながった電話で、夫が事件に巻き込まれたことを知った。

 病院に駆けつけた時には、既に息を引き取っていた。夫の変わり果てた姿を直視できず、言葉をかけることもできなかった。

 大学の同級生として知り合い、卒業後間もなくして結婚した。勝彦さんは東京都府中市内に歯科医院を開業。夫婦で協力し、地域の人たちに親しまれる歯科医院に育ててきた。「約50年続け、夫は十分に歯科医としての責任を果たしたと思う」。残りの人生で、趣味と夫婦の時間を楽しむはずだった。

 あれから15年。今も自宅には勝彦さんが撮影した各地の風景や、孫たちの写真があふれている。生前に使っていた書斎も手つかずのまま。仏間には、旅先で撮った夫婦の記念写真が飾られている。2人のそんな写真がもっと増えるはずだった。

 苦しくなるから、事件のことはできるだけ考えないようにしてきた。でも、夫を思わない日はない。「早く私も連れて行って」。遺影にそう語りかけることが日課になった。

 加藤元死刑囚の刑が執行された時は、何の感情も湧かなかった。「夫が戻ってくることはないから」。一方で、人が亡くなる事件や事故のニュースを目にすると、その誰かにも家族がいることを想像して胸が苦しくなる。

 事件直後には報道機関の取材に応じたが、その後は口を閉ざしてきた。思いを記者に話すのも、これを最後にしたいという。

 「どうか一方的に社会へ不満をぶつけるだけの存在にはならないでほしい。みんながただ、平和に生きられる社会になってほしい」。心からそう願っている。【岩崎歩】

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