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石狩鍋 何百年も食べられてきた?実は戦後生まれの「商品」だった


 北海道を代表する郷土料理の石狩鍋とは、「生のサケのアラを使った鍋料理」のことを指す。この石狩鍋の定義をつくったのが、石狩鍋発祥の地・北海道石狩市にある「いしかり砂丘の風資料館」の学芸員、工藤義衛さん(61)だ。「実は、石狩鍋は戦後にできた『商品』です」と明かす。

 石狩鍋は、生サケの内臓や頭などのアラに加え、キャベツやタマネギ、白菜などの野菜が入ったみそ味の鍋料理。原形がいつできたのかははっきりしないが、キャベツやタマネギなどは明治以降に北海道にもたらされた野菜だ。工藤さんは「石狩鍋と聞いてイメージするものができたのは、どんなに時代をさかのぼっても明治以降」と指摘する。

 石狩鍋の原形が記録に登場するのは昭和初期のことだという。石狩を訪れた道立水産試験所の職員が「台鍋(だいなべ)」と呼ばれるサケのアラを使った鍋料理があると紹介したのが最初だ。

 では、なぜ料理に地名がついたのか。

 由来の大元は、塩漬けされたサケが流通し、「庶民の味」として定着した江戸時代にまでさかのぼる。石狩やその近隣で取れたサケは、石狩からまとめて江戸まで送られていた。このため、江戸の人たちは「サケといえば石狩」というイメージを抱いていたという。

 「石狩鍋」ができたのは、戦後すぐの昭和20年代だった。当時、石狩はサケの地引き網漁を見る観光客でにぎわっていた。地引き網漁は、すべての網を引き終わるまでに時間がかかる。その待ち時間に観光客に地元の家庭料理である鍋が振る舞われるようになった。

 当初は生サケのアラと身を入れること以外に明確なレシピもなかった鍋だったが、観光客向けの商品化に伴って「標準化」(工藤さん)され、名前も石狩鍋に統一されたという。工藤さんは「石狩といえばサケのイメージが強く、石狩鍋と聞けば、名前だけで『北海道のサケが入った鍋』と想像できることが大きかったのだろう」とネーミングの経緯を推測する。

 1980年代になると、広辞苑にも「石狩鍋」が登場、全国区の料理として認知されるようになった。工藤さんは「地方で生まれたものが全国に広がることはあまりなかった。『石狩』という名前の力だと思う」と話す。

 岩見沢市出身の工藤さんが石狩鍋の研究を始めたのは、旧石狩町に就職して10年ほどたったころだった。「よそ者の自分が、学芸員として地元のためにできることは何だろう」。地名がついた鍋料理が全国的にも少ないことに着目し、「石狩鍋を通して、石狩の街を深掘りしよう」と考えたのがきっかけだ。

 「当初は、『何百年も前から食べられている』などの根拠のない話が多かった」と工藤さん。料理に使われる材料が手に入るようになった時代が分かれば、ルーツも分かるのでないかと考えた。市内で食べられている石狩鍋の作り方や具材などの共通性を調べ上げ、石狩鍋を定義づけすることから始めた。

 石狩鍋は一見、原始的な料理だが、キャベツなどの西洋野菜を取り入れた北海道の近代史を象徴する食べ物だという。「北海道は明治以降に入植した和人が社会をつくり、本州と違う文化が生まれた。すごくおもしろいですね」と工藤さんは目を細めた。【今井美津子】

工藤義衛(くどう・ともえ)さん

 1962年、岩見沢市生まれ。札幌商科大(現札幌学院大)で考古学を専攻し、89年に旧石狩町採用。2022年に定年退職し、現在は再任用の学芸員として勤務する。

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