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競争率60倍超のブームは下火に 大阪市の元公募区長たちは今…


 競争率が60倍を超えた人気も今は昔。大阪市で区長を公募する制度が始まって10年がたったが、応募者は激減してブームは下火になっている。

初回は24枠に1461人が殺到

 公募区長は、民間人や市職員も含めて全国から区長を募る制度。「大阪都構想」が実現すれば東京都のように選挙で選ばれた区長が特色ある区政をするようになるとして、2012年に当時の橋下徹市長が都構想を先取りする形で導入した。多くの区長は従来、階級が局長級より1ランク下の部長級だったが、公募区長は市長や副市長に次ぐ「シティーマネジャー」職に格上げされ、本庁の局長らを指揮監督できる権限を与えられた。任期は原則1期4年で、年俸は民間出身者なら約1400万円。「市政改革の要」(橋下氏)と位置づけられた。

 橋下氏の人気もあって初回の公募には全24区の枠に全国から1461人の応募があった。選考の結果、会社経営者や元記者ら外部出身の18人、市職員出身の6人が選ばれた。民間ならではの自由な発想が期待されたが、セクハラや経歴詐称といった不祥事や周囲との対立などが原因で5人が途中交代する事態も起きた。

 公募は区長の任期終了に合わせて随時行われ、16年には6区の枠に応募者は61人と大きく減った。倍率は10倍超とはいえ、初回の6分の1にとどまった。都構想が15年の住民投票で否決された影響もあったとみられる。22年の募集でも3区の枠に対して応募者は60人だった。

 現在は16人いる公募区長のうち外部出身は10人で、6人は市職員出身。残る8人の区長は公募を経ずに内部異動で就任した。公募制度の導入当初に比べ、民間人活用の理念は薄れつつある。

副市長、大学教授に……その後の人生

 かつて区長を務めた人たちはどう思っているのか。

 経営コンサルタントを経て、住吉区長(12~17年)と大正区長(17~21年)を1期ずつ務めた吉田康人さん(58)は現在、大阪府和泉市で副市長を務めている。当時を「とにかく大変だったが良い経験になった」と振り返る。コンサルの経験を生かし、区長時代は子どもや高齢者の見守り制度を作るなど虐待や孤独死対策に力を入れた。

 公募区長の応募者が減ったことについては「大阪市が抱えていた問題がある程度、解決されたからではないか」と前向きに評価する。その上で「人口270万人のトップが市長1人でよいのかは考えないといけない」とし、区長が権限を持つことの重要性を説いた。

 大手商社「三井物産」勤務から西淀川区長(12~16年)に転身した西田淳一さん(67)は退任後に大阪市や大阪府の幹部を歴任した。行政職を離れてからは京都大大学院で公共政策を学び、現在は大阪経済大の客員教授を務める。

 当時を「市内部では前例踏襲の慣例と闘い、外では市民の反発に対応しながら、どうすれば区や市がより良くなるか考えた」と語った。

 区長の存在感低下について「橋下氏の後はバックアップも乏しく、求めるビジョンも明確ではなかったために役割が形骸化してしまった」と指摘する。そしてこう提案した。「しがらみにとらわれない民間出身者にしかできないことは今もたくさんある。区長や局長だけではなく課長も公募したり、専門職を置いたりしてはどうか」【榊原愛実】

  ◇

 この10年、大阪府政や大阪市政では全国でも話題となるさまざまな出来事がありました。一方で、その後のエピソードはあまり知られていません。「あれからどうなった?」と題し、後日談を随時お伝えします。

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