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革命導いたエリート軍人=フィリピンのラモス元大統領死去


 【ジャカルタ時事】フィリピンで独裁を続けた当時のマルコス大統領(在任1965~86年)と民主派コラソン・アキノ氏が争った86年2月の大統領選。マルコス氏の一方的な「勝利」宣言後、国軍ナンバー2の参謀総長代行だったフィデル・ラモス氏はエンリレ国防相(当時)とともに軍の基地に籠城した。「国民の利益よりも自らの家族の利益を優先している」とマルコス氏を公然と批判し、国軍兵士らに合流を呼び掛けた。  反乱に加わった兵士は当初、たったの400人余り。しかし、ラモス氏は諦めずにアキノ氏支持を呼び掛け、その輪は「ピープルパワー革命」へと広がった。同革命の象徴的人物はアキノ氏だが、軍人としての経験と指導力を武器に、成功へ導いたのは紛れもなくラモス氏だ。  米陸軍士官学校卒業後、フィリピン国軍に入り、朝鮮戦争、ベトナム戦争に参戦した生粋の軍人。父はかつてのマルコス政権の外相、母方はマルコス家につながる名門の家系だ。自身も40代前半の若さで大統領直属の軍事顧問、国家警察軍司令官に抜てきされたエリートだった。  続くアキノ政権時代は、国防相として度重なる軍事クーデターの企てを阻止。その功績を買われてアキノ氏に後継指名された。80年代のマルコス政権末期から続いた政情不安を解消し、電力整備や規制緩和により「アジアの病人」と呼ばれた経済を高成長の軌道に乗せた。元軍人という経歴や堅実な手法から「面白みがない」と評された。  98年に退任後、自らの名を冠した財団を設立。日本をはじめ世界各地で講演し、民主主義の重要性を訴えた。2001年のエストラダ政権崩壊時には、国軍首脳部に離反を促し無血政変につなげており、政局の節目で大きな影響力を発揮した。  死去のちょうど1カ月前、故マルコス元大統領の長男マルコス氏が大統領に就任した。かつてのマルコス独裁政権の美化が目立った大統領選が展開され、圧勝によって誕生した2代目マルコス政権の発足にどんな思いを抱いたのか。語る機会は失われた。 【時事通信社】 〔写真説明〕フィリピンのアキノ大統領(当時、左)とラモス氏=1986年3月、北部バギオ(AFP時事) 〔写真説明〕フィリピン大統領選の選挙運動で支持者にあいさつするラモス氏=1992年5月、ルソン島パンガシナン州(AFP時事)
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