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墜落63年、今も残る恐怖=母失った女性―沖縄


 1959年6月の米軍戦闘機墜落事故で母を失い、自らも重傷を負った伊波秀子さん(85)は、現在も同じ沖縄県うるま市(旧石川市)石川の敷地内に住む。一瞬の出来事で事故の瞬間はよく覚えていないが、今でも米軍機が頭上を飛ぶたびに恐怖を感じている。「いつもひやひやして生きている。平和ではないね」と語る。  自宅には機体外部の燃料タンクが衝突した。6月30日午前の事故発生時は、洋裁学校の宿題でミシンの練習をしていた。ごう音と衝撃で意識を失い、光景は覚えていない。後に、がれきの中から助け出されたと聞いた。  直前まで会話をしていた母=当時(52)=は、がれきの中から遺体で見つかり、隣の家でも小中学校の同級生が亡くなった。  当時の沖縄は米軍統治下で、事故後も周辺の演習場から砲撃音が響き、夜には照明弾が上がっているのがよく見えた。近くの道では、米軍の戦車が当たり前のように走っていた。  63年たった現在でも、頭上を米軍の戦闘機や輸送機オスプレイが頻繁に通過する。「また落ちてやられるんじゃないか」。飛行機の音を聞くのが怖くて耳をふさぐが、朝5時に米軍機の爆音で目覚めることも多い。  「もう考えたくないし、飛行機も見たくない。6月が来ないでほしいといつも思う」と、長年事故については口を閉ざしてきた。だが、若い世代の基地問題への関心が薄れる中、最近では孫たちに事故が繰り返されてはならないと語り掛けるようになった。「二度と起こらないように。平和な世の中でありたいね」。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕1959年の米軍機墜落事故について語り、涙を流す伊波秀子さん=4月20日、沖縄県うるま市 〔写真説明〕米軍嘉手納基地の戦闘機が墜落した宮森小学校周辺の現場=1959年6月30日、沖縄県旧石川市(現うるま市)(「石川・宮森630会」提供)
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