starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

独立20年、自由得た=かつて「敵対」の離散家族―東ティモール


 【バウカウ(東ティモール)時事】東ティモールがインドネシアから独立する過程では、両国に離散して暮らす家族が生まれた。中には、独立派ゲリラとインドネシア国軍という敵対する間柄の親族を抱えた家族も。数年の音信不通を経て再会を果たしたこの家族は、波乱の20年間に「自由を得られた」と振り返った。  東ティモールのバウカウ県で生まれ育ったセリーナさん(62)は独立が決まった後の1999年9月、インドネシア東ヌサトゥンガラ州クパン県へ移住した。国軍兵士の夫アントニオさん(72)が帰国を命じられたためだ。娘のディダさん(35)は「11歳の自分はわくわくしたが、母が泣いていた」のを覚えている。  セリーナさんの弟ナルチソさん(57)は、10歳からゲリラ部隊に属し、独立を求めて戦った。セリーナさんが結婚した際は森に潜み、ディダさんが生まれたときは国軍に拘束されていた。「国軍は憎かったが、姉の夫は別だ」と考えるナルチソさんが日常を取り戻した矢先、セリーナさんらが移住してしまった。  途絶えた音信は、2002年に復活した。バウカウへ行く知人にセリーナさんが「旅券を作って来て」と伝言を託した。受け取って「喜び、興奮した」ナルチソさんは、元ゲリラの自分が行って安全かを見極めた上で07年、クパンまでの500キロをバスで24時間かけて移動。8年ぶりに再会した2人は無言で抱き合い、涙を流した。  翌年にはセリーナさんがバウカウを訪れた。ディダさんが大学卒業後の14年、私立大講師の職を得て東ティモールの首都ディリへ移住すると、セリーナさんのディリやバウカウへの訪問は増加。5回を数えた年もある。  「最もつらかった出来事は離散で、最も幸せな瞬間は再会のとき」。20年間をディダさんはそう振り返り、ナルチソさんは「今も貧しい人が多いのは最悪だが、独立していなければもっとひどかっただろう」と語った。  20年を象徴する言葉は「自由」で共通する2人だが、理由は少し異なる。ナルチソさんは「強要や拷問を受けることなく、自分たちで国を統治している」と説き、ディダさんは「政治的、経済的に自由が増し、頻繁に互いの国を往来できるようになった」と話した。 【時事通信社】 〔写真説明〕東ティモール独立のため戦ったナルチソさん(右端)と家族=18日、東ティモール・バウカウ 〔写真説明〕東ティモール首都ディリの自宅で、家族の離散や再会について語るディダさん=17日
    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2024
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.