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沖縄の窮状、手紙に託し=復帰前から本土に2500通―「基地負担」訴えた元教員・復帰50年


 1972年5月の本土復帰前から、約2500通の文通で米軍統治下の沖縄の窮状と一日も早い祖国復帰を訴えた人がいる。沖縄県名護市の元中学校教諭山城正二さん(86)だ。過重な基地負担は今も変わらないとした上で、「本土の人は沖縄の苦難の歴史を共有していない」と強調する。  沖縄戦で当時2歳の妹を亡くし、「戦争を二度と繰り返してはいけない」との思いから教員を志した山城さんは、65年9月から復帰後まで、新聞などの文通募集欄に掲載された本土の人に毎日手紙を送った。沖縄との教育格差を比較した資料や、米軍基地周辺の航空機騒音に関する新聞記事も添付。「悲願の定期便」と書かれた台帳には、文通した人の名前や日付などが記載されている。  文通を始めたきっかけは、教員時代の経験だ。本土から訪れた大学生が持参した中学生の作文に、「沖縄ではどんな自動車が走っているかな。フォード、シボレー、ヨーロッパの車?」と書かれているのを読み、悲しみと憤りを感じたという。時は65年夏。沖縄返還を掲げた佐藤栄作首相(当時)の誕生で復帰への期待は高まっていたが、山城さんは「沖縄への理解がないままでは、復帰を叫んでも国民的な世論につながらない。一人でも多くの理解者を得るために手紙を書くことに決めた」と振り返る。  戦後27年間、米軍統治下に置かれた沖縄。「銃剣とブルドーザー」と呼ばれた民有地の強制接収や、米軍基地に派生する事件事故は後を絶たなかった。文通相手の中には、そうした状況を周囲に説明してくれた人もいたという。  沖縄は本土復帰後も、全国の在日米軍専用施設・区域の7割が集中。米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の辺野古移設の是非を問う2019年の県民投票では反対が7割超を占めたが、埋め立て工事は続く。  「県民は反対だと言っているのになぜやめないのか。一人でも多くの人に沖縄の問題を考えてほしい」。そうした思いから山城さんはこの数年、沖縄本島最北端の辺戸岬で観光客らに沖縄の現状を説明している。  「基地で金をもらっているのに反対するのか」と中傷を受けることもあるが、現状が変わらない限り訴え続ける決意だ。「国民の世論が弱いから、政府は県民の声を無視して工事を進める。50年たっても変わらない沖縄の状況を伝えたい」。山城さんはそう話す。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕文通で本土復帰を訴えた元中学校教諭の山城正二さん=3月22日午後、沖縄県国頭村
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