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日本人元人質、記憶鮮明=「ゲリラにピアノ教えた」―ペルー公邸占拠事件


 17日昼、東京都新宿区の鉄板焼き店に男性9人が集った。25年前の1997年4月22日に終結したペルー日本大使公邸占拠事件で、127日間を共にした日本人元人質たち。「天使の会」メンバーは新型コロナウイルス下、3年ぶりの再会を果たした。参加者の一人で味の素ペルー現地法人社長だった酒井芳彦氏(75)=神奈川県小田原市=は会合後、オンライン取材に応じ、四半世紀たった今も詳細に覚えている事件の経緯を語った。  酒井氏の記憶から消えないのは、天皇誕生日の祝宴招待客でにぎわう公邸に、左翼ゲリラ「トゥパク・アマル革命運動(MRTA)」が侵入した時の光景だ。公邸裏の民家の塀を爆破した際に上がった火柱を、日本人駐在員の妻とみられる女性が花火と勘違いして「あら、きれい」と一言。直後に銃声が響き、悪夢が始まった。  4カ月にわたった人質生活では「プライバシーがないことがつらかった」という。「12畳弱ぐらいの部屋に日本人11人が詰め込まれた。寝ると足がぶつかるし、いびきもうるさかった。マットの間に本を立て陣地を作ったりもした。でもいさかいはなかった。(年齢や地位など)レベルが同じだったのが幸いした」と回想する。暗く沈みがちな生活に潤いを与えたのは、マージャンや読書、家族からの手紙だった。  MRTAとは、リーダーのセルパ容疑者以外の13人とコミュニケーションを取ったという。ある時、男女の若いゲリラに請われ、初級レベルのピアノを手ほどきした。「ピアノを見るのは初めてのようだった。ジャングルから出てきた、ただの若者。息子のようなものだった」。ただ、ゲリラ全員殺害という決着については「亡くなったのは悲しいが、武器で脅して人質に犠牲を強いたのだから仕方ない代償だった」と割り切っている。  猟銃が趣味で銃声には慣れていたので、4月22日のペルー軍特殊部隊による武力突入時も比較的冷静だった。充満する煙の中で2階から中庭に飛び降り、腰椎を圧迫骨折しながらも走った。救急車に乗って病院へ運ばれた時、「ああ、助かった」とようやく安堵(あんど)したという。  「監禁生活を通じ、自由と尊厳の大事さをかみしめた。信頼と愛も大事だ。コミュニケーションを取っていたことで、MRTAは最後はわれわれに引き金を引かなかった」と酒井氏。定年退職後は企業向けの海外赴任研修講師などを務め、ペルーでの経験を生かして危機管理意識の啓発に取り組んでいる。 (リマ時事) 【時事通信社】 〔写真説明〕ペルー日本大使公邸占拠事件の人質当時に家族と交わした手紙を見せる酒井芳彦氏=18日(本人提供)
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