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突入作戦「まれに見る成功」=国際テロ緊急チーム、発足契機に―現地対応の元警視総監・公邸占拠25年


 南米ペルーの日本大使公邸占拠事件は間もなく解決から25年を迎える。当時、警察庁外事課長として現地対策本部で対応に当たった米村敏朗元警視総監(70)がインタビューに応じ、71人を救出したペルー軍特殊部隊の突入作戦について、人質は極度の緊張を強いられたものの、「いろいろな条件が重なり、まれに見る成功だった」と語った。  「青天のへきれきだった」。1996年12月17日の事件発生直後、米村氏は政府専用機でペルーの首都リマへ飛んだ。情報収集後、すぐに一時帰国し、橋本龍太郎首相(当時)に「今、突入作戦が実行されると犠牲は計り知れません」と報告した。「ゲリラとは交渉しない」と明言するペルーのフジモリ大統領(同)が、十分な準備なく軍を突入させれば、多くの人質が巻き添えになると予想された。  こう着状態が続いた97年1月。「人質に危険が及ぶ事態に備え協議したい」とペルー側から打診があり、米村氏はフジモリ氏とほぼ二人きりで対面した。長時間のやりとりを通じ、最高指揮官が現場の状況を詳細に理解していると知り、「こんなに情報が入っているのか」と驚いたという。  人質解放が見通せない中、軍特殊部隊は極秘で突入訓練を実施。一方、日本側は繰り返し、平和的解決を目指すようペルー側に働き掛けた。米村氏は「これが圧力になった。フジモリさんは人質の安全に相当、神経を使っていた」と話す。  ゲリラは「突入があれば一緒に死んでもらう」と人質に告げていた。ただ米村氏は、日本語学習などの交流を通じ、ゲリラが人質に同情的となる後に「リマ症候群」と呼ばれる心理状況が生まれたことを挙げ、「これが突入時に人質殺害をためらわせ、多くの命が助かる要因となった」と語った。  当時、警察庁には海外で日本人が人質となるテロ事件に対応する専門組織がなく、現地で諸外国機関の専門家にアドバイスをもらったという。この教訓が後に、情報収集や人質交渉などの捜査支援をする同庁の「国際テロ緊急展開チーム」設置につながった。  米村氏は事件を振り返り、「世界の例を見ると、あの種の救出事件で人質の命を100%守るのはかなり厳しい」と述べ、状況に応じた具体的対策を取る必要があると指摘。「現実を直視し、逃げない姿勢が求められる」と強調した。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに答える米村敏朗元警視総監=4日、東京都千代田区 〔写真説明〕当時の資料を手にインタビューに答える米村敏朗元警視総監=4日、東京都千代田区
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