俳優の小栗旬(36)が太宰治を演じた映画『人間失格〜太宰治と3人の女たち〜』(監督:蜷川実花)が9月13日、全国で公開された。日本を代表する文豪・太宰治とその妻・美和子(宮沢りえ)、そして愛人・静子(沢尻エリカ)と富栄(二階堂ふみ)による、スキャンダラスでドラマテックな恋と人生の物語……なのだそう。
ネット版の『ぴあ』では、
妻と子供がいる身でありながら、次々と外に女性をつくっては、彼女たちとの恋に溺れる太宰治は、現代の倫理観に照らし合わせれば炎上必至の問題人物。けれど、小栗旬が演じる太宰は、ダメで、ズルくて、でもそこがたまらなくいとおしくなる魅力がダダ漏れ。人も羨む才能を持ちながら、あまりに不器用な生き様につい心をとらえられてしまう。
……と、冒頭で太宰を評したのちに、主役である小栗旬のインタビューを掲載している。けっこうイイことをたくさんご発言なされているので、そのいくつかを紹介しておこう。
「本来芸術家であったり、何かを生み出す人間は品行方正である必要はまったくないと思っています。だけど、今の時代、僕たちみんな品行方正であることを求められるじゃないですか。それって芸術という面で見ると自分たちで自分たちの首を絞めているようなところがある。太宰を見ていると、ここまでいっちゃいけないという良い例でもあると思う一方で、本当にすごいものを残せるならそれはそれでいいじゃないか、という気にもさせられました」
「えらいなと思いますよ。僕からしたら。あれだけ3人の女性のために時間をさくことがすごい。面倒臭いですもんね、単純に(笑)。でもその面倒臭さを太宰はいとわなかった。それが創作意欲に関することなのかは別として、彼にとって恋は非常に大きな比重を占めるものだったと思います」
「(太宰の生き様について)難しいですね。太宰のように生きたからといって、それで作品がすごく良くなるとも思わないので。もちろん本能に従って生きる部分は表現者として持っていたいなとは思いますけど。今はむしろちゃんとした生活をすることの方に興味がありますね。(ちゃんとした)生活をしていれば悩んだり苦しんだりすることはある。そこから何かを生み出していく方が面白いんじゃないかと考えるようになりました」
私も太宰と同様……と言ってしまうのは少々どころか相当おこがましくはあるのだけれど、典型的な「恋をモチベーションにして生きるタイプ」の人間である。「あれだけ3人の女性のために時間をさくなんて面倒臭いですもんね、単純に」と小栗は感心混じりにコメントしていたが、私は3人だろうと、それが4人、5人になろうが、ちっとも飽きないし、面倒臭いとも感じない。10股だってウェルカム状態だったりする。
ただ、これまでの人生の大半を費やしてきた恋愛の遍歴がそのまま分泌……ではなく文筆における世界観や表現手段に直結しているわけでもない……気がする。シンプルな話、複数の女性とそれなりに深い関係を併行させていくには、それなりのお金が必要となってくる。だから「もっと稼がなきゃ」が、おのずと仕事を一所懸命こなさざるを得ない状況のバックボーンとなってくるのである。しかも、その仕事は、女性たちと逢い引きを重ねるスキマにちょこっとできる、ある程度は時間的な自由が効くたぐいの作業ならば、もっと良い。
「今はむしろちゃんとした生活をすることの方に興味がありますね。(ちゃんとした)生活をしていても悩んだり苦しんだりすることはある。そこから何かを生み出していく方が面白いんじゃないか」
……とも小栗は語る。それはそれでそのとおりだと私も同意する。「破天荒な生活から」より「ちゃんとした生活から」創作のきっかけやヒントを得るほうが、断然と今のトレンドでもあるのだから……。
私もここ数年、毎朝7時に起床して、週に2〜3回ほど早朝草野球をこなしながら、淡々と原稿を書く生活を、できるかぎり心がけている。が、そんな「ちゃんとした生活」のなかに“恋愛”を組み入れることは、そこまで矛盾もしてないし、十分にスケジューリング可能だとも、まだ信じている。