“赤いコスモ”のニックネームとともに高い人気を獲得したマツダ・コスモAP。その後継を担う新世代のスペシャルティカーは、従来のラグジュアリー路線に加えて、市場の志向に即した多様化やスポーティテイストを意図して開発が進められた――。今回は“疾走する知性”“ROTARY新次元”を謳って1981年に登場した第3世代のコスモで一席。
【Vol.118 3代目・マツダ コスモ】
ロータリーエンジン車の救世主となり、東洋工業(現マツダ)の復活劇の象徴ともなった2代目コスモことコスモAP(1975年デビュー)。しかし、1970年代終盤になると販売成績も伸び悩みはじめ、次期型の開発が急務となっていた。
新しいコスモを企画するにあたり、開発陣は他メーカーが取り入れている「プラットフォームおよびシャシーの共通化による車種設定の拡充とコストの削減」を導入する方針を打ち出す。白羽の矢を立てたのは、同社のフラッグシップサルーンであるルーチェとの基本コンポーネントの共用だった。そして、コスモはスペシャルティ感を強調したモデルに、ルーチェはラグジュアリー性を主張する1台に仕立てることを画策する。さらにコスモは、より多様なユーザー志向に対応するためにボディバリエーションの拡大を計画した。従来はクーペと2ドアセダン“L”の2タイプだけだったが、新型では2ドアハードトップ、4ドアハードトップ、4ドアセダンの3タイプを設定する。このうち4ドアセダンは、ルーチェと基本的に共通のボディを採用した。
肝心の搭載エンジンは、レシプロのMA型1970cc直列4気筒OHC(EGI仕様120ps/キャブレター仕様110ps)と12A型573×2ローター(130ps)、さらにセダン用にS2型2209cc直列4気筒OHCディーゼル(70ps)を採用。ただし、デビュー当初はレシプロのガソリンエンジン仕様だけをラインアップする。真打ちのロータリーエンジンには新機構の6ポートインダクション(6PI)を組み込んだため、そのインパクトを強調しようと、あえてデビュー時期を遅らせる戦略を採ったのである。
■ワイドバリエーションで勝負
3代目となる新型コスモ(HB型)の発売は、ボディバリエーションごとに時期をずらして段階的に行われた。まず1981年9月1日に2ドアハードトップが登場。同年10月1日には4ドアハードトップを市場に放つ。その15日後には4ドアセダンを追加。さらに11月からは、ロータリーエンジン搭載車の販売を開始した。
3代目コスモでユーザーが最も注目したのは、そのスタイリングだった。リトラクタブルライト(ハードトップに装備)を配したV字型のフロントノーズと滑らかにスラントしたボンネット、ウエッジシェイプを基調とするライン構成などで達成した空気抵抗係数(Cd値)は0.32で、カペラの0.38やサバンナRX-7の0.34を上回る世界トップレベルの数値を記録する。ボディサイズは全長4640×全幅1690×全高1340~1360mm/ホイールベース2615mmに設定。また、新開発のラック&ピニオンステアリングや前マクファーソンストラット/後セミトレーリングアームの新設計サスペンション、フルアジャスタブルシート(XG-Xに標準)などによる質の高い走りも好評を博した。
■世界初のロータリーターボ車の登場
市場での脚光を浴びる3代目コスモ。このインパクトをさらに強めようと、東洋工業は革新的なモデルを1982年9月にリリースする。世界初のロータリー+ターボチャージャー(日立製)エンジンを搭載した“ロータリーターボ”シリーズだ。ターボ付き12A型ロータリーエンジンは当時のトップレベルの160ps/23.0kg・mを発生し、スペシャルティカーとしての魅力度をいっそう引き上げる。また、同時期に発売した2000EGIの4速AT車も、イージードライブを欲するユーザー層から人気を集めた。
コスモの進化は、まだまだ終わらない。1983年10月のマイナーチェンジではターボ付き12A型ユニットのタービンブレード形状などを変更し、最高出力が165psにまでアップする。さらに、スーパーインジェクション採用の13B型ロータリーエンジン(654cc×2ローター、160ps)搭載車も設定した。またこの時、内外装の化粧直しも行われ、4ドアハードトップは固定式のヘッドライトに、2ドアハードトップはセンターピラー部の小窓を廃してガーニッシュで覆うデザインに変更している。
3代目コスモはその後もジェンティール・シリーズの追加(1985年5月)や内外装のリファインを実施し、シャシーを共用化するルーチェが1986年9月にフルモデルチェンジした後もそのまま生産が継続される。結果的に3代目コスモは、1990年3月に3ローターロータリーエンジンを採用するユーノス・コスモが登場するまで販売が続けられ、異例の長寿モデルに発展したのである。