高価格なスポーツモデルにもかかわらず、大ヒット作に発展したBNR32型スカイラインGT-R。「イメージ的にも販売的にも“GT-R”は重要」と判断した日産自動車は、次期型スカイラインでもGT-Rを設定する決定を下した――。今回は独ニュルブルクリンクでのテストでBNR32の記録を21秒上回ったことから、“マイナス21秒ロマン”を謳って1995年1月に登場したBCNR33型スカイラインGT-Rの話で一席。
【Vol.111 4代目 日産スカイラインGT-R】
標準車からVスペック・シリーズ、NISMO、N1ベース仕様車を合わせて、4万3934台もの生産台数をたたき出したBNR32型スカイラインGT-R。渾身作とはいえ、500万円前後の高価格なスポーツモデルがこれほど売れるとは、メーカー側も予想していなかった。GT-Rは“技術の日産”のイメージリーダーとしての地位だけではなく、市場シェアや収益を押し上げる優等生にもなる――。そう判断した日産自動車の首脳陣は、9代目となる次期型スカイラインでもGT-Rの設定にゴーサインを出す。新しいGT-Rを自らの手で造りたかった開発陣にとっても、この決定は願ったり叶ったりだった。
■大型化したベース車両への対応
しかし、実際の開発過程は決して順調には進まなかった。最初に立ちはだかったのが、ベース車両となる次期型スカイラインのボディである。R32型系では先代のR31型系に対して全長を短く、全高を低くしてスポーティなディメンションに仕立てていたが、登録台数の面ではGT-Rという人気グレードを生み出したにもかかわらず、R31型系の30万9716台から29万6087台にまで減少する。30万台を切ったのは、日産ブランドで発売したC10型系のハコスカ以来、初の出来事だった。ショックを受けた日産スタッフは、9代目では広い居住空間が創出でき、見栄えもいい大柄なボディに変えることを画策し、ボディサイズやホイールベースの拡大を決定する。走りの性能向上が命題のGT-Rにとって、このボディの大型化は重量増などにつながる不利な要件だった。
■困難な開発要件を懸命の創意工夫で克服
次期型のR33型系GT-Rの開発は、1992年初頭から本格的に開始される。車体とシャシーに関しては、ボディの大型化に伴い各部を徹底的に補強する。車体前部ではフロントストラットタワーバーやフロントクロスメンバーを、後部ではリアストラットタワーバーやリアストラットタワーボード、リアシートバックセンター、フロアクロスバー、トリプルクロスバーを装着。車体全体ではサイドメンバーの一体化やセンターピラーの断面形状拡大、フロアパネルの板厚増大、サイドシルとサイドメンバーをつなぐアウトリガー構造の採用などを実施した。また、エンジンフードやフロントフェンダーパネルにアルミ材を使用して軽量化(スチール材に比べて約-12kg)を施し、同時にバッテリーを後方配置するなどして最適な重量配分=ハイトラクション・レイアウトを実現する。燃料タンク容量については、運動性能を鑑みて従来の72Lから65Lへと縮小した。
開発陣は前後マルチリンク式のサスペンションまわりにもこだわる。フロント部はアッパーリンクを二股構造化してキャンバー剛性を引き上げ、リア部はバウンド側のストロークを向上させてタイヤの接地性をアップ。さらに、前後サスペンション特性のマッチング最適化や取り付け部剛性の見直し、各部の補強なども実施した。最新の電子制御機構も積極的に採用し、ヨーレイトフィードバック制御を組み込んだ電動SUPER HICASやドライバーの意思により忠実に作動する専用ABSを装備する。ブレーキはフロント4ピストン、リア2ピストンのブレンボ社製ベンチレーテッドディスクを装着した。
エンジンについては、従来のRB26DETT型2568cc直列6気筒DOHC24Vインタークーラー付きツインセラミックターボユニットをリファインして搭載する。主な改良ポイントはターボチャージャーの最大過給圧アップやコンピュータ機構の刷新(8ビット→16ビット)、インタークーラーの変更、可動部のフリクションロスの低減などで、得られたスペックは280ps/6800rpm、37.5kg・m/4400rpmに達する。従来のウィークポイントとされた中速域でのピックアップも、きめ細かな制御によって大幅に改善した。組み合わせる駆動メカは、これまた改良を加えたアテーサE-TSで、前輪0対後輪100から同50対50の範囲でトルクを最適配分するトルクスプリット4WDシステムは従来以上にきめ細かく、しかもスムーズで素早いトルク移動を実現する。また、このアテーサE-TSにアクティブLSDと4輪ABSの制御を組み合わせた“アテーサE-TSプロ”も新規に開発した。
エクステリアに関しては、「高性能を象徴し、空力と冷却性能に優れたエクステリア」の具現化を主要課題に掲げる。フロントバンパーやブリスターフェンダーなどは専用デザインで、見た目の低重心とワイド感を強調。空力特性では4段階角度調整機能付きリアスポイラーやフロントスポイラー、サイドシルプロテクターなどを装着し、Cd値(空気抵抗係数)0.35を達成した。冷却性能については、フロント部に大型のロアグリルやラジエターグリルなどを装備して効率の向上を図る。ボディサイズは全長4675×全幅1780×全高1360mm、トレッド前1480×後1490mmで、ベース車に比べて35mm長く、60mm幅広く、リアトレッドが20mmワイドなディメンションに設定。2720mmのホイールベース値は踏襲した。
「ドライバーがGT-Rに生命を吹き込むための肝心な入口」と開発陣が規定するインテリアは、ドライバーとクルマの緊密な一体感を重視して各部がデザインされた。インパネはベース車を基本に、垂直ゼロ指針の回転計と水平ゼロ指針の速度計をセット。センター部にはアテーサE-TSのフロントトルク計/油温計/ターボブースト計からなる小径3連メーターを配する。また、コンビメーターパネルと3連メーターパネルにはカーボン調の表面処理を施した。フロントシートはBNR32譲りのモノフォルムバケットタイプで、座面とシートバックのセンター部にキルティングパターンを新採用。ヒップポイントは車両重心点に近接した低い位置に設定する。同時に、足をスッと伸ばした位置に設けたABCペダル、やや立て気味にレイアウトしたφ370mmの本革巻きステアリングホイール、手元に直立したショートストロークのシフトレバーなどを配してスポーティなドライビング空間を創出した。
R33型系GT-Rの開発途中では、そのプロトタイプが1993年10月に開催された第30回東京モーターショーで参考出品車として披露される。しかしこのプロトタイプは、とくにスタイリングに関して観客からの評判があまりよくなかった。フロントマスクはグリル開口部が小さめで、GT-Rらしい迫力が感じられない。リアスポイラーなどのエアロパーツ類についても、やや地味なムードに終始した。ベース車のR33型系スカイライン・2ドアスポーツクーペ(モーターショー開催の2カ月前に市場デビュー)と大きく雰囲気が変わらない、歴代の中で最も平凡なルックスのGT-R――。期待値が高いモデルだけに、そんなシビアな印象を観客に抱かせてしまったのである。
開発陣は鋭意、R33型系GT-Rのスタイリングの見直しを図る。グリル開口部は大型化したうえで、ブラックアウトしたメッシュタイプのカバーを装着。エアロパーツ類も、より迫力のあるデザインとした。また、ボディカラーのイメージ色にも工夫を凝らし、ミッドナイトパープルと呼ぶ深い紫の専用メタリックカラーを作成した。
■ニュルブルクリンクでのテスト
R33型系GT-Rのプロトタイプは先代モデルと同様、過酷な走行条件で知られるドイツのニュルブルクリンクでのテストが実施される。
事前段階として新技術のメカはR32型のGT-R・VスペックⅡに搭載して走行テストを実施し、R33型系GT-Rプロトタイプが完成した1993年半ばからは栃木のテストコースでの精力的な走行実験が開始される。当初は実験部のドライバーから“合格点からほど遠い”と酷評されたプロトタイプは、走るたびにボディのあちこちにスティフナー(補剛部品)が溶接され、それに伴って各部のチューニングも変更。1994年中旬には、富士スピードウェイでのテスト走行に臨むまでにクルマの完成度が高まった。
開発陣はテストの最終段階として、1994年秋にニュルブルクリンク・オールドコースにプロトタイプを持ち込む。徹底的な走り込みとチューニング変更の繰り返しの結果、ラップタイムのベストはBNR32型の8分20秒を21秒も短縮する7分59秒をマークした。この事実は後に、“マイナス21秒ロマン”として市販時のキャッチコピーに使用された。
■ユーザーのふくらむ期待のなかで――
BNR32超えを目指したR33型系スカイラインGT-Rは、ユーザーの大きな期待のなか、1995年1月に開催された東京オートサロンの舞台で華々しくデビューする。型式はBCNR33。グレード展開は標準仕様のGT-RとアテーサE-TSプロを装備したGT-R Vスペックの2タイプを用意し、車両価格はGT-Rが478.5万円、GT-R Vスペックが529万円に設定された。
市場に投入されたBCNR33型GT-Rは、デビュー当初の1年は8446台の登録という好成績を記録したものの、翌1996年(ステアリング形状やインパネのデザインを変更した中期型)には半減以下の4093台にまで落ち込む。1997年2月にはリアサスペンション取り付け部の強化や空冷式オイルクーラーのオプション設定、ABSのセッティング変更、キセノンヘッドランプの装着、エアインテークの追加などを実施した後期型に移行するが、同年の登録台数は2708台へとさらに減少し、モデル末期の1998年にいたっては1180台となってしまった。
最終的に1万6520台あまりの生産台数で終わったBCNR33型GT-R。性能面ではBNR32型を凌駕したものの、モータースポーツでの活躍が少なかったことや大柄なボディでスポーツマインドが伝わりにくかった点などが災いし、高い人気は獲得できなかった。歴代GT-Rのなかで、その実力の高さが最も過小評価されてしまった悲運のモデル――。それが現代の目から見たBCNR33型GT-Rの本性なのである。