私が『ファッションフード、あります。』のコンセプトを思いついたのは、ティラミス大騒動の記憶がまだなまなましく残っている頃だった。日本全国、右を向いても左を見てもティラミスの話題ばっかりで、いやぁ、あの熱狂ぶりは凄まじかった。子供たちも巻き込んだブームだったから、当時小学生だった80年代生まれも、なんとなく覚えていると思う。
ティラミスは間違いなく、戦後の流行食のなかでも最大で超弩級のヒット作。肩を並べるのは、70年代中盤に社会現象を起こした紅茶キノコしかない。そっちはオカルチックな健康食品なので、ティラミスこそが正統的なファッションフード史上、最強のアイテムだといえる。
■岩波書店の入社試験に出た
ブームを作ったのは、『Hanako』1990年4月10日号に載った「イタリアン・デザートの新しい女王、ティラミスの緊急大情報 いま都会的な女性は、おいしいティラミスを食べさせる店すべてを知らなければならない。」だったというのが定説だ。
だが、実はかなり早い時期から高級イタリア料理店が出していて、一部のグルメ層においしいデザートとして知られていた。それがイタ飯ブームでじわじわと知名度を上げ、この記事で一気に大ブレークしたのが真相。
記事はたったの8ページで、その号のメイン特集でもなかったが、発売直後からイタ飯屋にティラミス目当ての女の子がどっと押しかけた。最初は、「また若い女たちがなに浮かれてんだ…」と、面白半分で取り上げていた男性週刊誌も、次第にこれは無視できないと思ったらしく、異様な流行現象に対する真面目な分析記事などを載せるようになった。
そして、気がついたらあらゆるメディアを賑わせていた。もう“ティラミス知らなきゃ時代に遅れる”という空気が社会全体に広がっていた。あの岩波書店の入社試験にも出たそうだ。
■中学生のスクールカーストに影響
波及効果は広範囲にわたり、猛スピードで全国展開した。まず素早く洋菓子店が参入。テイクアウトできるようカップ入りのティラミスを売り出し、夏にはアイスクリームショップとファミリーレストラン、喫茶店、ファストフードのメニューにも登場した。
翌年には大手メーカー製のチョコレート、菓子パン、ドリンク、キャンディなどの量産菓子、のみならず、塩味のコロッケやスープ、ハムやソーセージにまで“人気あやかり商品”が出揃った。
91年2月発売のロッテ「ティラミスチョコレート」を食べたことがあるかないかが、中学生女子のスクールカーストに影響したほどだ。鴻上尚史は『週刊朝日』で、「ティラミスというひとつの流行が、国民が一億人以上いる国を席巻するというのは、その国の野蛮さの証明でしかないのです」と、日本の“単層の文化”と“全員同じであることが素晴らしいという思想”に話を広げ、辛口のコラムを書いている。
■日本人はチーズケーキが好き
というように、たったひとつの菓子から思わず文化批評をしたくなるくらい、本当に日本人は老若男女みなティラミスを食べようと躍起になっていたのである。
なぜティラミスはかくも記録的な速度で普及したかといえば、まずイタ飯ブームに乗ったことがひとつ。
そして、70年代の大ヒット以来、洋菓子界に君臨してきたチーズケーキの一種だったことが大きい。マスカルポーネチーズで作るティラミスは生まれながらにして、ファッションフードの王道だったのである。しかも、従来のチーズケーキと違って、とろとろ、ふわふわしたムース状の柔らかい食感が、それまでとはまったく違う新しさを強烈に感じさせた。
■「ウケると思いました。名前がテトリスと似ているから」
糸井重里が「ウケると思いました。名前がテトリスと似ているから」とコメントしたように、名前がかわいくて覚えやすいのも有利だった。イタリア語のティラミスが直訳すると「私を上に引っ張り上げて」なので、転じて「私を天国に連れて行って」とか「気分よくさせて」という意味にとれるのもウケた。
カロリーが高く栄養もあるので、女の子たちの夜遊び前の必須アイテムになった。モテたいオトコはティラミスのおいしい店を必死で探したものだ。
一から十までバブリーな話だが、こんなことが普通に起こったのが、バブルの時代なのである。
【関連書籍】
『ファッションフード、あります。』(筑摩書房)