バブルを知らない世代に「それって、痛い飯のことですか?」と聞かれるくらい、もはや死語になった感のある「イタ飯(イタめし、イタメシとも書く)」。どっぷり浸かったバブル世代も、今どきうっかり「イタ飯行こうよ」などと口走ってしまうと、それこそ痛い。
失われた20年が忘却の彼方に押しやった、バブルの狂躁の気恥ずかしさ、その象徴とされるのがイタ飯だ。平成が始まると人気に火がつき、あっというまに大ブームになった。
■バブル=イタリアのノリ
バブリーな現象は他にもいろいろあったが、「ジュリアナ東京」※[1]のPRを仕掛け、「アッシー」※[2]と「メッシー」※[3]の名づけ親でもある西川りゅうじんが、この好景気をどう呼ぶかの質問に「バブル景気かイタめし景気。アルマーニとかイタリアものはバブル紳士が使って流行ったようなものですから」※[4]と答えているように、そもそもイタリア的な軽いノリは時代の享楽的な気分にぴったりはまった。
なぜ、あれほどのブームになったのか。理由のひとつは、間違いなくイタ飯という呼び名にあった。カフェめし、サラメシ、うちめしと、その後次々と生まれた「○○めし」のプロトタイプである。
『ファッションフード、あります。』執筆時の調査では、この語のメディア初出を『Hanako』1988年10月6日号の「イタメシノックアウト旅行」までしか遡れなかったが、その後、『Olive』と『Hanako』両誌の創刊編集長だった椎根和(しいね・やまと)さんから、ごく初期の『Olive』でたしかに使ったという証言を得た。さすが名編集長、早い。
■日本人にフランス料理は「難しすぎた」
「イタリア料理」「イタリアン」より、ぐっと身近に引き寄せた感と意味ありげなファッション性が出る。と同時に、根強いコンプレックスを打ち破る力がこの語にはあった。
バブル景気は85年のブラザ合意を契機に始まったが、外食はその前からとっくにバブリーだった。80年代に最初にブームとなったのが、フランス料理。明治維新で外交儀礼と宮中行事の正餐に採用されて以来、食のヒエラルキーの頂点に立ち続けたフランス料理の店が、いきなり人気のデートスポットになった。
後年、『東京いい店やれる店』※[5]で「料理店は料理を食べるために行く場所ではない」という真実を喝破したホイチョイ・プロダクションズも、すでにデビュー書の『見栄講座』※[6]で、「今夜こそ、彼女を口説き落とそうという必殺の夜、あなたがすべきことはただひとつ! 彼女をフランス料理店に連れて行くのです」と宣言している。
が、しかし。フランス料理は、やっぱり難しすぎた。当時は本場で最新のヌーヴェルキュイジーヌを学んだシェフたちが帰国し、店を開いた時期。彼らが作るのは理屈満載で複雑な料理だったうえ、堅苦しいテーブルマナーは相変わらず、ワインリストには歯を噛みそうな銘柄が並び、おまけに値段はいまのフレンチの標準より高かった。緊張しまくり、よく味わえないままフルコースを食べ、2人で3~4万のお会計に青ざめる、という体験にトラウマを残した日本人は多かっただろう。
■イタ飯は“コスパ”最高
これに対し、イタ飯はわかりやすかった。味はいたってシンプルで家庭的。パスタ(麺類)とリゾット(ご飯もの)があるから日本人の舌に合い、コースで頼まずとも好きなものを自由に注文でき、ワインはキャンティにバローロくらい覚えておけば、通を気取れる。
なんといっても大きかったのが、マナーに縛られることなくワイワイガヤガヤ、気楽に、本能のおもむくまま食べられることを、イタ飯屋みずからウリにしたことだ。フランス料理店では小さくなっていたおじさんたちが、イタ飯屋では我が物顔に振る舞えること、そして女の子を連れて行くのにはイタ飯屋の費用対効果が最高という事実に気付いたことも、ブームを加速させた。
日本の食文化史から見ると、イタ飯は明治以来のフランス料理崇拝から脱却し、はじめて居酒屋感覚で楽しめるようになった西洋料理。パラダイムの大転換だったのである。
※[1] バブル末期、ワンレン・ボディコン女性がお立ち台で羽付き扇子を振り回して踊った伝説的ディスコ。
※[2] 足がわりの男性の意。付き合ってもらうには車所持が最低条件で、外車だったりすると格が上がった。
※[3] 食事を奢ってくれる男性の意。それ以上の関係を期待してはいけないことになっていた。アッシーとともに、デートが女性優位だったバブル期の流行語。
※[4] 「空前の好景気の名前は」『週刊朝日』1991年9月13日号
※[5] 巻頭一番「顔のいい女とセックスしたいと願うスケベな男性諸君に贈る、女を口説くための料理店ガイドである」と宣言し、1994年7月発売と同時に初版10万部を売りつくした。
※[6] 1983年発売。当時流行していたライフスタイルでいかに見栄を張るかを指南したマニュアル本。
【関連書籍】
『ファッションフード、あります。』(筑摩書房)