巷には、今日も味わい深いセンテンスがあふれている。そんな中から、大人として着目したい「大人センテンス」をピックアップ。あの手この手で大人の教訓を読み取ってみよう。
第99回 誰もが何かに縛られている
「偶然なのか、それとも、自らの意志によってなのか、彼らは、『セックスをしない、という経験』を選びました。」by高橋源一郎
【センテンスの生い立ち】
毎日新聞で好評連載中の「人生相談」。5月28日付の回答者は作家の高橋源一郎さん。相談を寄せた26歳の男性は、性経験がないことを同姓の友人から「この年齢で童貞は気持ち悪い」と批判されています。最近は「私が性経験をしていないからいけないんだ」と考え始めているとか。高橋さんは、童貞だったといわれる宮沢賢治や正岡子規を引き合いに出しながら、「普通」や「常識」を振りかざす批判なんて気にする必要はないと励まします。
【3つの大人ポイント】
- 批判する側の愚かさを筋道立てて説明している
- 「常識」に縛られる無意味さに気づかせてくれる
- 生き方は自分で好きに選べばいいと伝えている
息をするように「普通はこうでしょ」とか「それが常識でしょ」と言ってしまえる人は、あまり信用しないほうがいいでしょう。「普通」や「常識」がいかにアテにならないか、無邪気に振りかざすことがいかにタチが悪いか、そこにまったく気付かないのは、けっこう残念なポイントです。まあ、悪い人ではないかもしれませんけど。
自分が童貞であることを悩んでいる26歳の青年。同姓の友人からは「この年齢で童貞は気持ち悪い」と批判され、周囲では早くしたら勝ちという自慢がはびこっています。「異性の友人からも性体験を根掘り葉掘り聞かれ、もやもやがたまるばかりです」とも。そんな青年に対して、作家の高橋源一郎さんは〈「銀河鉄道の夜」の宮沢賢治、「不思議の国のアリス」のルイス・キャロル、俳人の正岡子規は童貞だったといわれています。〉と、やさしい口調で語りかけます。
事実はわかりません。けれども、それがほんとうだとしたら、童貞であることは、あまりにもオリジナリティーに富んだ彼らの創作に深い影響を与えているように思えます。彼らは、「セックスの未経験者」ではなく「セックスをしない、ということの経験者」でした。
「未経験者」を「しない、ということの経験者」と表現しているところが、極めて鮮やか。「未経験者」という言葉には、経験していないことは悪いこと、マイナスのことという価値観が含まれています。しかし、経験しないことで得られるもの、経験しないが故に見える世界もあるはず。「しない、ということの経験者」だと捉え直せば、自分で選んだ生き方なんだと胸を張ることができます。
相談者を批判する人たちが、批判の根拠にしているのは何か。それは世間の「普通」や「常識」です。高橋さんは、強い表現でその無意味さを批判します。
性の未経験者であることであなたを批判する人たちは、世間の「普通」や「常識」を疑ったことがない、つまり、自分の頭で考えたことがない人たちなんだと思います。そんな人たちの言うことなんか気にする必要はありません。犬が吠(ほ)えてるな、と思っていれば十分です。
「常識」を根拠にした無意味で無遠慮な批判は、童貞問題に限りません。高橋さんは続けて、ほんの少し前まで「女はある年齢になったら結婚すべきだ」「女は結婚したら専業主婦になるべきだ」「女は少々の性的冗談を受け流すべきだ」という「常識」があったことを例にあげます。たしかに、そういう「常識」は広く根深く存在したし、今もそれを「当然のこと」と信じて疑わない人も少なくありません。しかし、当然と思っている人が、なぜ当然かを明確に説明することはきっとできないでしょう。
高橋さんは女性に関する「常識」を取り上げましたが、男性も同じ。童貞問題以外でも「男は働いて家族を養って一人前だ」「男はたくさんの女性と性体験を重ねているほうが偉い」「男は弱音を吐いたり泣き言を言ったりしてはいけない」……など、たくさんの「常識」が存在します。「常識」が厄介なのは、それを根拠に批判する人が現われるだけでなく、自分自身が勝手に縛られて必要のないプレッシャーやコンプレックスに支配されてしまうこと。
私たちの悩みは、じつは多くが「男(女)はこうじゃないといけない」「夫婦はこれこれこうあるべき」「こういうことをしていないのは母親(父親)失格」といった「常識」の呪縛が原因になっています。しばしば「らしさの押しつけ」と受け取れるCMや歌が炎上することがありますが、それも縛られている息苦しさがベースにあって、痛いところを突かれて怒りの感情が暴発している一面が無きにしも非ず。とても不幸な構図です。
高橋さんは回答を〈自由に自分のペースで生きていけばいいじゃないですか。〉と締めくくりました。「自由に自分のペースで生きていく」のは、けっして簡単でもありません。「普通」や「常識」を振り回しているほうが、よっぽど楽です。周囲とのあつれきも、白い目を向けられることも少ないでしょう。しかしそれと引き換えに、どうでもいい呪縛で自分の行動や考えを封じてしまったり、どうでもいい悩みや苦しみを抱えたりすることになります。
童貞の青年の悩みに対する回答から、たくさんのことを学ぶことができました。時代や環境でコロコロ変わる「普通」や「常識」なんてものに縛られていないで、「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」という気概で突き進みましょう。ちなみにこのフレーズは、高村幸太郎の「道程」という詩の一節です。ドウテイつながりです。
【今週の大人の教訓】
「普通」や「常識」は疑って初めて、多少は存在意義が生まれる