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【三重】お伊勢参り:昔の旅人の足跡をたどって二見興玉神社へ


江戸時代、人生一度は訪れたい旅がお伊勢参りでした。

伊勢神宮内宮のみを訪れる「片参り」が圧倒的に多いです。実は、「肩参り」は決してよくないのです。せっかく旅行するなら、慣わしに習って参拝して、神様からのご利益を受けませんか? 昔の人々が辿ったルートをめぐり、思いを馳せることもまた一興です。

この記事では、最初に訪れてほしい二見興玉(ふたみおきたま)神社と重要文化財にも指定されている賓日館を紹介します。

伊勢神宮への参拝前に訪れてほしい、二見興玉神社

神社の由来・由緒

  • 祭神:興玉大神(おおたまのおおかみ)
  • 御名:猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)“みちひらき”の神
  • 相殿:宇迦乃御魂大神 (うがのみたまのおおかみ)穀物の神

猿田彦大神は、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を案内し、伊勢の狭長田(さながた)に本拠を置いて全国を開拓。倭姫命(やまとひめみこと)が天照大御神を奉戴し二見浦に停泊すると、猿田彦大神は海上の厳島で出迎え、五十鈴の川上に内宮の地と定めます。内宮の守護神として崇められ、厳島は興玉神石と呼びました。夫婦岩に縄を張り結界とし、その前に遥拝所を設けたことが創建の始まりです。

僧行基が天平年間(729~749年)に観世音菩薩を本尊として江寺を建立。同時に興玉社も鎮守の神として祀られました。

明治9年(1876年)神仏分離で夫婦岩前に神社として鎮座。明治43年(1910年)には宇迦乃御魂大神を祀っていた三宮神社と合祀し、二見興玉神社と改称しました。

二見浦は、お伊勢参りに訪れた旅人が伊勢神宮の参拝前に潮水にてケガレを祓い清める禊場でした。 浜参宮(はまさんぐう) とは、清き渚と称えられる二見浦の二見興玉神社に参詣し、禊を行って伊勢神宮へ参拝することが古来の慣わしです。

現在でも 二見興玉神社、外宮、内宮の順番 が正式な参拝方法とされています。

絶景の海を見渡しながら境内を巡るスポット

本殿・拝殿

主祭神である興玉大神(猿田彦大神)が祀られています。必ず参拝してほしい場所です。 みち開きの神様 なので、 新しくスタートしたい人 今の状況を変えたい人 には打って付けです。

夫婦岩

大岩の高さは9m、小岩の高さが4mです。大注連縄の長さは35m。
猿田彦大神ゆかりの霊石である「興玉神石」と、岩の間から昇る「日の大神」を拝する鳥居の役割を果たしています。

毎年5月~7月頃に夫婦岩から日の出を拝むことができ、言葉に現わせない絶景です。古から続く自然の営みが神秘的に感じます。

日の出遥拝所

鳥居から夫婦岩を拝むことができます。潮風にあたりながら忙しい日々を忘れ、心を清め癒してくれるでしょう。

天の岩屋

この岩穴は古来より宇迦御魂大神を祀った三宮神社が鎮座されており、文禄年間(1592年~1596年)に外側の境内に移りました。

境内社 龍宮社

海の守護神である綿津見大神(わたつみおおかみ)が祀られています。

寛政4年(1792)5月15日に江地区が大津波による大被害に見舞われました。その教訓から陰暦5月15日に例祭併せて郷中施神事が受け継がれています。

かえる岩

岩がかえるように見えるため、かえる岩と呼ばれています。

興玉神石を伊勢の海の守護とあがめ、龍神崇拝の精神を一つにして、龍神は雨を喜ぶという意味から蛙が奉げられてきました。
また、参拝者が旅や航海の安全を祈願して、無事かえるの願いからでたものともされています。
現在も、「無事にかえる・お金がかえる・物事がかえる」と御利益があるとして、人々に信仰を集めています。

不思議な授与品

無垢塩草(むくしおくさ)

二見興玉神社では、禊の代わりとして無垢塩草にてお祓いが行われていますが、直接祈祷を受けられない参拝者のためのお清めのお守りです。

かえるのお守り

かえるの信仰から、かえるのお守りがあります。祈願したい内容によって選ぶといいですね!

お清め砂

ケガレを祓う聖地だけにお清めの砂もありました。丁寧に作法も書いた説明書きも同封されています。

ちなみに、生霊がついているという知り合いにお土産として贈りました。

アクセス

  • 三重県伊勢市二見町江575
  • 電話:0596-43-2020
  • 授与時間:拝殿前 7:00~16:45/境内社 龍宮社授与所 9:00~16:00
  • 駐車場:二見浦公園駐車場/神社参集殿前駐車場

*駐車場の台数が少ないため、平日でも満車気味でした。近隣の駐車場を要チェックです。

https://futamiokitamajinja.or.jp/

二見興玉神社周辺で訪れたい観光スポット

賓日館(ひんじつかん)

明治20年(1887年)、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会(しんえんかい)によって建設されました。有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が名づけました。「賓客の泊まる日の昇る館」という意味です。

その後、明治末期から大正初期にかけてと昭和初期の2回の大増築を重ね、現在の形になりました。

幼少期の大正天皇(在位1912~1926)が避暑等で滞在するなど、歴代の皇族や各界要人が数多く宿泊しました。明治44年には、隣接する二見館(ホテル)に払い下げられ、その別館として平成11年(1999年)まで貴人の宿泊所として営業。その後、二見館の廃業と伴い、伊勢市に寄贈され現在は資料館として開館。平成22年(2010年)には国の重要文化財として指定されています。

また、建物ばかりではなく、庭園も含め当時一流の品格がある建築様式を見ることができます。こだわり抜かれた材料や職人の技の結集による洗練されたデザイン。日本の伝統建築と明治から令和へと激動の近代を今に伝える二見町の象徴を、目の当たりにすることができますよ。

博物館学芸員資格を持つ著者が注目する見どころ&ポイント!

釘隠し(1階 ことぶき)

柱の上に釘を隠すための金物が使用されています。城の御殿や伝統的な旅館など格式の高い建物によくあります。

釘隠しの魅力は一つ一つの細工が本当に見事です。単眼鏡で覗くと、息も忘れるほどに職人の技術の高さに圧倒されます。

さくら・うめ・まつ(1階)

それぞれの部屋にその名前にちなんだ文様が見受けられます。

新たな発見として、気づいたときに謎が解けたような嬉しさがこみ上げました。じっくり眺めてください。

橋(展示コーナーに続く1階廊下)

昔は、橋ように掛かっていましたが、現在は廊下になっています。

格天井

二十格天井(2階 御殿の間)/折上格天井(2階 大広間)

釘隠し同様に城の御殿、高級旅館など格式の高い建物に見受けられます。

御殿の間(2階)

歴代皇族が泊まった部屋です。ここから、庭園と二見浦が一望でき、絶景が広がります。

ぜひ、写真撮影してほしい眺めです。何度でも見たくなります。

アクセス

  • 三重県伊勢市二見町茶屋556-2
  • 電話:0596-43-2003
  • 開館時間:9:00〜16:30
  • 休館日:火曜日(祝日の場合は翌日休)

https://hinjitsukan.com/

二見浦の海を眺めて…

二見興玉神社はお伊勢参りのスタート地点といえる場所です。

いにしえより二見浦は重要な要所とされ、近代以降も歴代の皇族や要人が訪れていたことからも日本人にとって「ふるさと」ともいえる名所と感じます。

海を眺めながらのドライブも兼ねて、時間を忘れてのんびりと訪れてみるのもいいですね!

https://www.veltra.com/jp/japan/mie/ctg/198854:Jingu_tour/?sid=1554


文本つばき

余暇プランナー

webライター×webデザイナー。本業は、大学勤務。 大学で専攻した日本史を得意とし、主に城、神社仏閣、文化財、史跡、美術品、博物館、武将など専門性の高い記事を数多く執筆しています。また、元巫女という異色の経歴持ち、着付け・茶道の師範を持つ母の影響を受けて、日本茶や着物を好みます。 京都には月1ペースに訪れ、京都ゆかりの神社仏閣には特に詳しいです。日本の歴史や文化の魅力を専門的な立場から発信します!

【三重】お伊勢参り:昔の旅人の足跡をたどって二見興玉神社へ

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