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門田博光さん追悼・純粋な一本足打法で球史に名を刻むのは4人?


豪快な打撃でファンを魅了したスラッガー・門田博光さんが1月に死去されました(74歳・山口県出身)。「一本足打法」から繰り出すフルスイングを武器に、南海(現・ソフトバンク)、オリックスなどで活躍。44歳まで現役を続け、通算成績567本塁打、1678打点は歴代3位など輝かしい成績を残しました。

 門田さんといえば「一本足打法」です。投手側の足を上げて反動で打つ一本足の打撃スタイルの選手はたくさんいますが、第一人者の王貞治さんのような、まっすぐ伸びた軸足に体重移動させて、まさに一本足で突っ立った状態での「一本足打法」で、好成績を残した選手はあまりいません」。王さんにフォルムが似た一本足打法は3人だと思っています。全て左打ちです。

王貞治(巨人) 

雑誌 Fujisan.co.jpより

まず王貞治さんから。一本足打法を初めて披露したのがプロ4年目の1962年7月1日、対太洋戦でした。タイミングの取り方が下手だった欠点を克服するため、荒川打撃コーチと試行錯誤してたどり着いたのがこの打法。約半年間、毎晩のようにトレーニングを重ね、一本足状態でどの角度から押されても簡単には倒れない強靱な体幹を身につけました。打撃で「軸がぶれない」などと言いますが、どんな投手のフォームや変化球に対応できたのも軸足が強かったからだとされます。つまり、このレベルまで鍛え上げなければ実践で成績が残せない究極の打撃術なわけです。

門田博光(南海〜オリックス〜ダイエー)

雑誌 Fujisan.co.jpより

 プロ入り2年目、1971年から王貞治氏を手本に打撃フォームを一本足打法に改造。打率.300、31本塁打、120打点(打点王)という好成績を残します。大振りを指摘されてもフルスイングの信念を曲げず、「ヒットの延長が本塁打」という見解は持ちませんでした。理由は、「身体が小さいのでフルスイングしなければ遠くへ飛ばないから」。1979年にアキレス腱を断裂した後、「ホームランを打てば全力で走らなくていい」と言って全打席ホームラン狙いを宣言。練習量はずばぬけていたそうで、朝起きてから寝るまでとにかくバットを振った、と話すほど。一本足打法で打撃を開眼できたのは素振りのたまものだったと思います。

片平晋作(南海〜西武〜大洋)

 王選手に憧れて高校時代から一本足打法を取り入れていました。1972年から左の好手好打として慣らし、1979年には打率.329をマーク。‘83年には一塁手でダイヤモンドグラブ賞を獲得しています。軸となる左足で立った状態を強くするため、ビルの屋上の柵の縁から数十センチの場所で右足を上げてタイミングを取るという危険な練習もして技術を磨きました。際だった成績は残していませんが18年間現役を続けてこられたのは「一本足打法にこだわってきたから」とコメントしています。(※2018年、68歳で死去)

大豊泰明(中日〜阪神〜中日)

大豊 王貞治に憧れて日本にやってきた裸足の台湾野球少年(ソフトバンククリエイティブ)

 1989年デビュー。‘93年シーズンから、前年の秋季キャンプで張本勲氏に勧められた一本足打法を取り入れ、翌‘94年には38本塁打、107打点で2冠を獲得します。台湾出身で、王さんをリスペクトしていたため、一本足打法にはこだわりを持って取り組んでいましたが、阪神に移籍してからは打撃不振からすり足打法に変更することもありました。「一本足で二冠を獲らせてもらったけれど一本足で選手寿命を縮めたとも言える。足に負担がかかるが、投手とのタイミングをはかるため凝視するので目も疲れた」と話しています。落合博満氏が「練習量だけなら全選手で一番」と言うほどバットを振っていたとか。(※2015年、51歳で死去)

 オールド野球ファンの見解かもしれませんが、王さんが「打法」と確立したスタイルにマッチするのはこの3人と言う人は多いです。また、左打者に一本足打法が多い理由のひとつとして、人間の体は右側が重いから、というのがあるそうです。右に位置する肝臓は成人男性で約1000〜1500gと重い臓器で、肺も右の方が左より大きくて少し重いそうです。つまり、左打者は右を下に傾けて立つので安定しやすく、スイングしたときバットに力も乗りやすい、ということらしいです。

(石原久稔)

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