
俳優、歌手の寺尾聰(78)が6日、ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(月~金曜午前11時30分)に生出演。大ヒットした名曲「ルビーの指環」の誕生秘話を明かした。
寺尾は石原プロ入り後、体を悪くしていた時期に「何にもやることがなくて、他にお金になることないかな」と思い「自分の持ってた物全部売ったら、何にもなくなっちゃった」という。
その中で残っていたのがカセットテープだったといい、寺尾は自身が加入していた「ザ・サベージ」の頃から作っていた曲を持ってレコード会社を訪ねた。そこではプロデューサーになっていたグループサウンズ仲間がおり「ちょっとお前これ買ってくれない」「誰か歌わせて」と頼んだというが「結局最終的には自分でやる羽目になったのが『ルビーの指環』」だったと明かした。
放送作家の高田文夫氏(76)が「じゃあルビーの指環って曲は前からそこにあったんですか」と聞くと、自分でやることになった際に「分かりやすい歌を作ろうと思って作ったのが(ルビーの指環)」だったと話していた。