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市川由紀乃が卵巣がん治療終え歌手活動再開 5月待望ツアー「ただいま!」開催


市川由紀乃が卵巣がんの治療を乗り越え、歌手活動を再開しました。昨年6月にがんと診断され、手術と抗がん剤治療を経て、元気を取り戻した市川は、5月に37枚目の新曲「朧」をリリース。また、ソロコンサート「ただいま!」をスタートさせるなど、活動を本格再開します。彼女の復帰には命の恩人でもある由紀さおりの助言も大きく影響していました。市川の体験は、彼女自身の歌を通じて多くの人々に力を与えることが期待されています。市川は、この経験を通して新たな決意と感謝の気持ちを持ってさらに前進することを誓っています。

がん闘病を経て活動再開した市川由紀乃(撮影・鈴木正人)

<情報最前線:エンタメ 音楽>

市川由紀乃(49)が卵巣がんの治療を終え、歌手活動を再開した。悪性腫瘍と判明した昨年6月初旬に休業を発表。6時間に及ぶ摘出手術と5カ月間の抗がん剤治療に耐えた。すでにテレビ復帰を果たし、5月20日には新曲「朧(おぼろ)」を発売。同19日からは待望のソロコンサート「ただいま!」をスタートさせる。デビュー32年目に新たな1歩を踏み出した市川に、桜満開の春が訪れた。【笹森文彦】

★由紀さおり命の恩人

3月4日、NHK「うたコン」に生出演し、NHKホールに立った。昨年6月7日の休業発表から270日。慣れ親しんだはずの風景が違っていた。

「お客さまのお姿であったり、拍手とか、そういう現場の空気にずっと触れていなかったので、夢なのかなって、思ってしまうくらいでした」

由紀さおり(78)がステージ脇で見詰めていた。体調を相談し、検査を強く勧められた命の恩人。そして待ってくれていたファン。感謝の気持ちを込めて歌ったのが、尊敬する美空ひばりさんの「人生一路」。1度決めたら、2度とは変えない。それが自分の生きる道だ、と歌い上げる。2度目のNHK紅白歌合戦(17年)でも歌った曲だった。

「紅白では、もっと歌手人生を頑張るんだという、本当に前向きな『人生一路』でした。今回は、この道でもう1回頑張って行きますという思いを全国の方に聴いていただきたいと思いました。そして、同じ病気で闘っている方に、こうしてまた歌えるようになるんだと、背中を押してあげたい気持ちを込めました」

★無音シーンに見えた

異変は23年夏ごろに起きた。生理不順、腰痛などが続いた。年齢の近い女性スタッフに「よくあるよね」と言われた。50代を前にした女性特有の症状と、自分に言い聞かせた。

「先々のお仕事をいただいていたので、もし何かあったら歩みを止めなければいけないという思いがよぎりながらも、私は大丈夫だって思ってしまった」

昨春、共演などで親しくなった由紀が「最近体調はどう?」と声をかけてくれた。症状を伝えると「すぐに検査を受けなさい」と、その場で信頼する先生の連絡先を教えてくれた。このアドバイスが奏功した。

6月初旬の精密検査で、右の卵巣に悪性の腫瘍があると判明した。医師から「すぐに仕事をストップして手術」と言われた。

「その日が松平健さんの舞台の立ち稽古で、途中で失礼させていただいて病院に行ったんです。私の中では『大丈夫です』という結果を聞いて、心晴れ晴れと稽古に励もうと思っていたので、先生の言葉を聞いて時間が止まったような、私はとんでもないことをしちゃったって、言葉が出なかったです」

同行した母が「公演に穴をあけたらご迷惑をかけるので、それが終わってからでは」と先生に必死に訴えてくれた。頭が真っ白になった市川には、それが無音のシーンに見えた。

★母を悲しませぬよう

6月7日に休業を発表し、7月中旬に6時間に及ぶ手術を受けた。医師から再発防止のため卵巣だけでなく、子宮もすべて摘出すると告げられた。

「やっぱり女性として、失ってしまうのは何とも言えない思いはありました。でも絶対乗り越える、闘わなければという強い気持ちしかなかったです」

市川はいま母1人子1人だが、7歳上の兄がいた。脳性まひの障害があり08年に39歳の若さで亡くなった。市川の大ファンで、紅白に初出場した際「いっぱい声が出るようにおいのりします。えがおもわすれないでね。ぼくがまりちゃん(本名)をぜったいまもります」というかつての手紙を帯に入れて歌った。

「兄は入院して間もなく旅立ってしまった。そういう悲しみを母に与えてはいけないと思いつつ、病室で1人で過ごす中、兄もこうやって同じ天井を見てどんなことを考えていたのかな、って思いました」

退院後、8月から3週間おきに計6回の抗がん剤治療を受けた。医師から「(毛は)全部抜けます」と言われていた。長い髪のままでバサッと抜けるのを見るのが嫌で、ベリーショートにした。

「覚悟はしましたが、最終的に眉毛とかまつげもなくなると、人相が変わるというか。でも、今の自分はこうなんだと受け入れて過ごしていかなければいけないと思った。それから強くなれました」

12月に最後の抗がん剤治療を終えると、母と抱き合って喜んだ。それまで気丈だった母が泣いていた。

発声練習を再開した。下腹部に力が入らなかった。家はもちろん、自分でスタジオを借りて、練習を繰り返した。

「最初は思うようにいかなかったですね。今は出せていると思うので、あとは日々練習と努力です」

今年3月初旬、うれしいニュースをブログにつづった。「新しい髪の毛が伸びてきたんです」。母が喜んで、頭をなでてくれた。

★ヒット曲「はぐれ花」

市川のヒット曲「はぐれ花」に、市川の心境を思わせる歌詞がある。

「たった一度の人生ならば せめて笑顔で 春を待つ」

「いろんな治療が終わって、ちょっとずつ体にうれしい変化があって、春のいろんな草花の芽吹きとともに、自分も新しい自分に生まれ変わっているような気がします。今年の春は特別だなって思います」

自分の経験を伝え、微力ながら誰かの役に立つ人間になりたいと誓う。生まれ変わった市川に、桜満開の春が訪れている。

◆市川由紀乃(いちかわ・ゆきの)本名・松村真利。1976年(昭51)1月8日、さいたま市生まれ。作曲家市川昭介氏の門下生で、芸名の由来。93年に歌手デビュー。16年の第67回NHK紅白歌合戦に初出場。女性演歌歌手の初出場は水森かおり以来13年ぶりだった。17年も2年連続紅白出場。「風の海峡」(13年)から「秘桜」(21年)まで11作連続でオリコン演歌・歌謡曲ランキング初登場1位を獲得。第61回日本レコード大賞(19年)で最優秀歌唱賞。「なごり歌」(作詞・吉田旺氏)が第53回日本作詩大賞(20年)を獲得。尊敬する人は長嶋茂雄氏。趣味は妄想。身長170・5センチ、血液型A。

■37枚目の新曲「朧」ひっさげ

5月20日に37枚目の新曲「朧」(作詞・松井五郎、作曲・幸耕平、編曲・佐藤和豊)を発表する。「朧」とは、ぼんやりとかすんでいるさまを言う。

市川は「たとえ朧なこの世でも、私はこう生きるという強い女性の心情があります。ぼんやりとした世界から、はっきり見える世界に立って、自分は生きていくという気持ちは、今の私に近い楽曲かもしれませんね」と話した。

5月19日には待望のソロコンサート「ただいま!」が、埼玉のサンシティ越谷市民ホールからスタートする。まさに市川の心情を伝えるタイトルだ。20曲以上歌うことになりそうだが、気力、体力とも万全で臨むという。

「ファンの皆さまに大変ご心配をお掛けしてしまいました。その間、お手紙やお守り、千羽鶴で思いを届けてくださって、私は乗り越えられた。皆さんにそのお礼を、言葉とともに歌で届けられるので楽しみです」。

テレビではなくコンサートでの復帰は、4月19日の「令和にっぽん!演歌の夢まつり2025」(熊本城ホール)が最初になる。

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