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数多くのテレビ番組の司会を務め、「視聴率男」「長寿番組男」として人気を集めたキャスターみのもんた(本名御法川法男)さんが1日未明、死去した。80歳。02年から、折々に取材の機会があった。仕事への情熱ゆえ、車の中で「悔しい」と涙を流していた姿が印象に残る。
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「サタデーずばッと」が始まった02年から取材してきた。最初にインタビューをお願いした時、開始時間を「おもいッきりテレビ」の生放送終了からわずか5分後に指定してきて、この人には休憩という発想がないのかと面食らった。
「ぜーんぜん疲れてない。この後は『学校へ行こう!』の収録。わはは」。朝昼2本の生放送のほか、全曜日にレギュラー番組を持ち、全盛期のレギュラーは16本。収録後はスタッフやギョーカイ関係者と深夜まで飲み会。睡眠時間は2、3時間というモーレツぶりだった。
「仕事は貪欲にとって、情熱を燃やしてやるもの」とし、「ワークシェアリング」という言葉も大嫌い。とにかくテレビ、ラジオの仕事が大好きだった。
05年、日本外国特派員協会の夕食会でゲストスピーカーを務めた夜、打ち上げの場にいた女性芸能人が「レギュラーなんかいつ辞めてもいいと思っていたが、みのさんを見て考えが変わった」とあいさつに来た。女性は祝意、感謝のつもりだったが、みのさんの受け止めは違った。駅まで送ってくれた車の中で、「その程度の覚悟でテレビの仕事をするなんて。悔しい」とボロボロ泣いていた。
仕事への情熱は生涯衰えることはなかったが、12年に40年以上連れ添った妻、靖子さんを66歳で亡くしてからは、いかにもさみしそうだった。みのさん専属のスタイリストで、葬儀後、衣装部屋に入ると、1カ月先まで番組用の衣装を準備してくれていたとしみじみと語っていた。「離れるのがつらい」と納骨せず、靖子さんが愛した鎌倉の自宅のキッチンに遺骨を安置していた。納骨できたのは七回忌の時だった。
昨年7月に、アットホームな記者懇親会でお目にかかったのが最後。お歳を召した感はあったが、好きなニッカの「鶴」をクラッシュアイスでじゃんじゃん飲み、誰かのグラスが空くことにめざとく、公にできない昭和芸能ゴシップを大いに語る。陽気な人間力は相変わらずだった。
エネルギッシュなテレビの時代を象徴するレジェンド。その活動は放送史そのもので、お話のひとつひとつに感謝しかない。向こうで、大好きな靖子さんと会えただろうか。ご冥福をお祈りします。【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)