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鈴木おさむ氏、放送作家になりたいと思ったきっかけ ピン芸人でオーデションを受けた時期も


元放送作家の鈴木おさむ氏が大学時代から放送作家を目指すきっかけを明かしました。彼は大学生の時、フジテレビの番組「夢で逢えたら」を見て、作家としての道に興味を持ったと言います。ある日、太田プロのライブのドキュメンタリーを見て、「ここに行けば放送作家に会える」と考え、太田プロに出向きました。そこで、芸人のオーディションに参加し、「放送作家になりたい」と伝えたところ、「半年間、自分でネタを書いてライブに出演しなさい」と言われ、それを実行しました。19歳の時に太田プロで山田邦子のラジオ担当を務め、その後も大学には通わず、バイトと放送作家の仕事で多忙な日々を送りました。

鈴木おさむ氏(2024年6月撮影)

元放送作家の鈴木おさむ氏(52)が22日、TBS系「人生最高レストラン」(土曜午後11時30分)に出演。放送作家になるきっかけを語った。

昨年、32年間活動した放送作家を引退した鈴木氏は「大学生の時に放送作家になりたかった」と振り返った。

「書くのが昔から好きだった」と言う鈴木氏は、1988~1991年に放送されたフジテレビ系のコントバラエティー番組「夢で逢えたら」を見て、「作家とか作り手のにおいがすごいした。こういうものを作る人間になりたいと思って」と、放送作家になりたいと思ったきっかけを明かした。

そして「大学1年の時にテレビ見てたら、太田プロのお笑いライブのドキュメンタリーやってて、ここに行けば放送作家に会えると思って。そこに前田昌平さんって…のちに僕の師匠ですけど、映ってたんですよ」と振り返った。

続けて「太田プロに芸人のオーディション受けるフリして、『放送作家になりたいんです』って言ったら、『最近の書き手は演者の気持ちが分からないから、半年間ネタを作って(ライブ)に出たら考える。自分でネタを作って上がりなさい』って言って…」と回顧。

そして「その月から自分でネタ書いて。ピンですね。で、オーディション受けて、やっていたんです」と振り返り、それを半年間やり、太田プロの〓(繋の車の下に凵)がりで山田邦子のラジオを担当したのが19歳の時と明かした。

そして、大学に在籍しながら、親にはうそをつき大学には行かず、「バイトとその仕事で、お金ゼロ円でしたけど、めっちゃ忙しいんですよ」と語った。

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