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当時は神戸市東灘区に…鎧塚俊彦氏、阪神・淡路大震災回顧「避難所での活動に明け暮れました」


パティシエの鎧塚俊彦氏は、インスタグラムで1995年の阪神・淡路大震災を振り返り、30年の月日が流れたことに思いを馳せました。当時、被害が大きかった神戸市東灘区に住んでいた鎧塚氏は、神戸ベイシェラトンホテルへの出勤途中で地震に遭遇し、その後は人命救助や炊き出しに尽力しました。震災後、鎧塚氏は予定通り欧州へ修行に向かい、帰国後は独立してパティスリーを開業しました。また、神戸市が災害に強い都市に成長したことを評価し、震災犠牲者への祈りと共に防災意識の重要性を強調しました。

鎧塚俊彦氏(2019年撮影)

パティシエ鎧塚俊彦氏(59)が17日、インスタグラムを更新。95年の阪神・淡路大震災から30年となり、当時を回顧した。

「本日5時46分で阪神淡路大震災から30年となります」と書き出し「30年前、最も被害の大きかった地域の一つ神戸市東灘区に住んでいた29歳の私は当時勤めていました神戸ベイシェラトンホテルに向かう為に丁度布団から出ようとした瞬間に激震に見舞われた。部屋は酷い有様となりましたが幸いに住居の倒壊は免れ、その後人命救助、炊き出し、避難所での活動に明け暮れました」と地震発生当初を振り返り、当時の写真と思われる倒壊した街並みの写真を投稿した。

続けて「夏に断腸の思いで予定していた通り神戸を離れ欧州修行に向かいました。私の中でこの30年は激動の時代でした。欧州修行から帰国、独立開業、直営店四店舗への道のりはまさに怒涛の30年でした」と自身にとっての30年をつづった。

「その間、神戸は震災の教訓を生かし災害に強い『レジリエントな都市』へと成長してきました。しかしその30年の間にも鳥取、東日本大震災、熊本、北海道、能登半島等、震災は続き今後も間違いなく続いていきます。阪神大震災犠牲者6437名のご供養の為にも今後の防災と危機管理について今一度考えなければと感じております。改めて犠牲になられました方々の御霊のご冥福を心よりお祈り申し上げます」と犠牲者の冥福を祈った。

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