カンテレの名物アナウンサーだった桑原征平(80)が3日放送のMBSラジオ「ヤマヒロのぴかッとモーニング」にゲスト出演した。同番組のパーソナリティー、ヤマヒロこと山本浩之(62)とはカンテレ時代の先輩後輩で「僕は、この人の背中を見て育った」(ヤマヒロ)。
ヤマヒロといえば、着用していたカツラを番組中ではずしたことで知られるが、カツラのきっかけをつくったのが桑原だった。「当時、番組スポンサーにカツラメーカーがいて『征平さん、(薄くなったし)そろそろどうですか?』と誘われたんです。一人では寂しいので『おーい、カツラつけたい人おるか?』と社内で呼びかけたんです」(桑原)
そのとき手を挙げたのが、まだ20代ながら薄毛に悩んでいたヤマヒロだった。その後カツラ着用でニュースキャスターを務めていたヤマヒロだが、メンテナンスには苦労した。
「朝、電車に揺られて会社に来るまでに汗も出るし、カツラがずれる。会社に来て鏡を見ながら『よし、これで大丈夫や』とチェックしていたな」と桑原は懐かしい思い出を明かした。
体を張ったロケ撮影や奔放なトークで人気を集めた桑原だが、標準語を話せないため、ニュース原稿を読む機会は定年の日までなかった。サラリーマン最後の日、「定年の日にニュースを読みたいと注文したんです」とヤマヒロ。その日はスポーツ中継が延長となり、ニュースの時間が取れなくなったが、それでも強引に1分の出番を確保できた。さらに1分予定の原稿を早口で50秒に縮め、最後の10秒で「本日をもちまして関西テレビを退職します。長年お世話になりました」と最後のあいさつを行った。
昔はアナウンサーの副業にも寛大だった。「講演は年に70~80回やったかな。数が多くて、会社に届けることもなくなった」と桑原が言えば「先輩が道を開いてくれたので、あとから行く我々もイベントや結婚式をやりやすくなりました」とヤマヒロ。ある時など北海道と静岡で同じ日に講演会の注文が来た。桑原から相談されたヤマヒロが時刻表とにらめっこし、飛行機と新幹線を乗り継げばぎりぎり間に合うことが分かった。「おかげで北海道から静岡まで移動して、両立できました」(桑原)。