9日に膀胱(ぼうこう)がんのため都内の自宅で亡くなった、小倉智昭さんの後を追い続けてきた“一番弟子”フリーアナウンサーの笠井信輔(61)が10日、日刊スポーツの取材に思いを語った。「感謝、ありがとう…それしかない」。その言葉の裏には放送人、そして人間として受けた、たくさんの“宝物”があった。
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小倉さんは、亡くなる2日前の電話で「諦めたよ」と口にしました。それは絶望したわけじゃなく、踏ん切り、決断…覚悟だったと思います。奥さまが、医師から数日か数週間の命と言われ「望んでいることだから伝えます」と告知すると、受け止めて「(家に)帰ろう」と言い、先生に「頑張らなくていいですよ」と伝えたそうです。どれだけ自分のために医療従事したか、事細かに分かっていたから…。
視聴者がどういうマインドでいて、思っていても言いにくいこと…政治や世の中のここが間違っているとズバッと言えた人でした。例えば事件があって、容疑者がとてもきれいだと、VTRを終えると「容疑者は独身ですか?」と聞いてくる。事件の本質でなくても視聴者が知りたい、興味のあることを追求しました。
毒舌や辛口と言われましたが、本当に気配りの人でした。息子が大学生の時、大好きなバンドのチケットが取れず珍しく頼んできたことがありました。小倉さんは「笠井君が行くなら取れるけど、息子さんのためなら、どうか…」と言いつつ「大丈夫、僕が行くから」と自宅に車で迎えに来て、息子と2人で見に行ってくれて感激しました。
19年に私のがんが発覚してから「笠井君、ずっと僕のマネをしてきて、がんまでマネしなくてもいいんだよ」と言われてきました。そんな小倉さんが、下のことまで1つ1つ、丁寧に発信したのは、人のプライバシーを伝える人は自分のことも伝えるという自負でしょうし、学んだところです。
小倉さんは働きたがっていた…。だから私は1日でも長く元気で働くところを見せ続けたい。「小倉さん、待っててね」とは言いません。うちのボスに「何で来たんだ、早すぎる!」と言われちゃいます。困難に見舞われたら、必ず相談してきた小倉さんの一番弟子として「笠井君、頑張っているね」と思ってもらうのが一番だと思っています。(フリーアナウンサー)