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ごう音でも楽しそうにささやく中山美穂さん 日刊スポーツ史上に最も美しい1枚/悼む


この記事は、1997年に中山美穂さんが主演した「東京日和」のプロモーション中に行われたインタビューの様子を振り返っている。絶頂期のアイドルから女優へと変貌していた彼女との取材は、異例の編成で行われ、少し緊張感が漂っていた。カメラマンが珍しい大型の照明機材を使ったために、撮影中に大きな音がしたが、中山美穂さんはそれを楽しそうに受け入れ、インタビューを続けた。インタビューでは、彼女が多忙な時期から脱却し、仕事により多くのエネルギーを注げるようになったことが語られた。そして、彼女の美しさが最も際立つ時期だったという。

中山美穂さん(1997年10月撮影)

<悼む>

中山美穂をインタビューする。1997年(平9)、竹中直人の監督作品「東京日和」に主演したタイミングだった。

「毎度-」から12年。絶頂のアイドルから「女優」の肩書が似合い始めたころだった。取材にはデスクと中堅映画担当、若手の私と、社内で最も腕が立つカメラマンが向かった。単独取材が少なく、めったにない機会とばかりに異例の取材班が組まれた。

芸能界でささやかれた、気むずかしい美穂さんに粗相があってはいけない。そんな配慮を装って、ただ「中山美穂」に会いたかったのが本音の4人だった。

広い撮影スタジオの真ん中で、取材と撮影を同時進行した。先輩記者が緊張したのか、ささやくように質問を始めた。美穂さんがささやき返す。すると、シャッターを押したと同時に「ピピピピッ」と大きなアラーム音がした。気合を入れたカメラマンが、社内でも珍しかった大型の照明機材を使ったため、シャッターのたびにごう音が響いた。

完全に粗相だ…と思ったが、美穂さんはそれすら楽しそうにささやき続けるから、取材も続行した。超多忙だったころと違い、年に1、2カ月は海外で過ごすようになり「1つ1つの仕事にありったけのエネルギーが費やせるようになった」と話した。「ミポリン」が「中山美穂」になり、最も美しかった時期だった。

ごう音にかき消されて、録音はよく聞こえなかったけど、素顔と充実ぶりが書き込まれた。そして、宮川勝也カメラマンの写真だ。

日刊スポーツ史上に最も美しい1枚だと、私は思っている。合掌。【元芸能担当・久我悟】

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