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六角精児「呑み鉄」愛 酒と鉄道と音楽と…10周年迎えるNHKBS人気番組


NHK BSの番組「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」は、2024年4月で10周年を迎えます。俳優六角精児は、ローカル鉄道を巡りながら酒蔵を訪れる「呑み鉄」をテーマに、日本各地を旅してきました。この節目を記念し、2024年2月24日に東京で「スペシャルライブ&トーク」が開催される予定です。番組は六角の「酒、鉄道、音楽」という三つの要素を柱にしており、特に音楽は彼率いるバンドの活動にも影響を与えました。ライブでは、自身の音楽が愛される様子を多くのファンと共有することが期待されています。六角は「呑み鉄」をライフワークとして捉えており、今後も続けていく予定です。

人気番組「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」が10周年を迎えてなお、六角精児の呑み鉄愛は変わらず、次の目的地に向けて、気持ちは早くも「出発進行!」(撮影・大野祥一)

俳優六角精児(62)が“旅人”を務めるNHK BS「六角精児の吞み鉄本線・日本旅」が、来年4月で放送10周年を迎える。酒と鉄道、そして音楽を切り口にローカル線の旅をして、六角が日本を再発見してきた。これを記念して同2月24日に東京・かつしかシンフォニーヒルズ・モーツァルトホールで「スペシャルライブ&トーク」を開催する。六角に来し方行く末を聞いてみた。【小谷野俊哉】

★酒蔵回り楽しいんじゃない?

きっかけは番組開始の1年近く前。14年6月に2週にわたって出演したNHK Eテレ「ミュージック・ポートレイト」だった。

「その時のスタッフの方が、僕の鉄道好きを知っていて、それに乗っていろいろなところの酒蔵を回ったりする番組は楽しいんじゃないかなっていう風なことを言っていた。最初に聞いた時は、ちょっとコンセプトが分からなかった。“呑み鉄”という言葉自体は昔からあって、それはいわゆる鉄道に乗って窓の外の景色を眺めながら飲むというもので」

スタッフが考えていたのは、さらにその先だった。

「ローカル線に乗って、酒蔵まで行ってお酒を飲む。僕は、そんなことはしたことがなかった。行った先の名産のものを食べたりして、割と普通の番組だなと。10年たって、僕自身が『呑み鉄本線』の番組のような旅をすることに慣れてきたのか、僕の鉄道旅に『呑み鉄本線』が合わさってきたのか分からないんですけどね」

のどかなローカル線の旅とお酒、おいしい食べ物。これが春夏秋冬、そして特番に。

「年に何回っていう風には、そんなにきっちりとは決まってなくて。やっぱり3カ月とか4カ月とかに1回ぐらいなのかな。その季節、季節で、自分の他のスケジュールにも合わせてもらって。自分がメインですけど、鉄道の映像を撮ったりとか、そういうところにすごく時間がかかっているんです」

そして六角にとって大きな音楽が番組の肝になっている。

★いろいろなこと幸せにつながってる

「鉄道とお酒と音楽がちょうど均等に3分割されていると思ってほしい。いろいろなところに行って、お酒を飲みます。そして、ちらっと途中に入る、つなぎの音楽は僕のイメージに合わせてやっています」

ミュージシャン六角精児が率いるバンドは、この番組と共に大きく飛躍した。

「これがあったので『六角精児バンド』の活動場所が増えた。96年に結成して、20年近くはそんなに派手にやってなかった。でもまあ、自分は音楽好きだから、そういった意味では良かった。この番組をやるようになって、いろいろなオファーが来るようになりました」

来年2月24日には「六角精児の呑み鉄本線・日本旅 スペシャルライブ&トーク」を開く。

「番組を10年やってきて、自分のバンドの音楽が番組で流れていて、それが急に盛り上がるんじゃなくて少しずつ聞かれてきた。お客さんが1300人入るんですけど、今までの最高は600人だから倍以上です。音楽好きで良かったな、バンド始めて良かったな、『呑み鉄本線』始めて良かったなと。いろいろなことが幸せにつながっているんだという風に思います」

高校時代に演劇部に入ったのが、俳優への道の第1歩だ。

「誘われて知らないうちに付いていって、気がついたらこうなってたんです。大学入ったら、すぐ劇団始めて。そのうちにいろいろなギャンブルにはまって、それで大学も辞めてどんどんどんどん抜き差しならなくなって、最終的に残ったのが劇団だけだった。俳優では全然食えなかったからバイトと、あとはなにかごまかして生きてました」

★「相棒」鑑識官役でブレーク

俳優を仕事として、生活していけるようになったのは30代になってから。

「実は30代の前半頃から、普通にやっていたら食えていたと思うんですよ。それなりに仕事というか、舞台の方とかもあった。ただ、ギャンブルの借金が多かったので。だから、ちゃんと飯が食えるようになったのはその借金がなくなってからです。40歳ちょっとかな」

01年から連ドラになったテレビ朝日系の「相棒」で鑑識官役を演じてブレーク。16年までレギュラー出演した。

「『相棒』は大きかったです。でもね、05年のフジテレビの連ドラ『電車男』の特番があった時に視聴率がすごく良かった。翌日、街を歩いてたりすると目線が違うんですよ。『相棒』は長いこと続いていたので、皆さんの目線が主役以外のところに行く」

62歳。俳優、ミュージシャンとして充実した時を過ごしている。

「俳優として、これから先は、今までのお付き合いがあったところで、何か新しい展開があったらいいなと思ってます。これから新たに全く違うところでっていう風なことは、正直言って考えてないです。俳優ですから、仕事がなくなったら定年。だけど『呑み鉄本線・日本旅』とかに関しては、自分がやれる限りはやっていきたい」

12月には東京・帝国劇場でミュージカル「レ・ミゼラブル」に出演。けいこが始まっている。

「ずっと劇場にいる翌日のちょっとした合間に『呑み鉄』のロケがあるんです。これが、いい息抜きになる。もうとっくになくなっている路線を追うのも楽しい。この10年やってきて『呑み鉄』が自分の好きなものを、より好きにさせてくれてるところがある。自分の中のライフワークというか、『呑み鉄本線』が10年続いたっていうのは、自分の芸能活動の中では一番大きなことの1つに入るのかもしれない」

線路は続くよどこまでも。酒もまだまだ残っている。音楽は鳴り続けている。

▼NHKエンタープライズの渋谷義人エンターテインメント部長

ロケでは、六角さんと同じ趣味を持つ人にたくさん出会います。鉄道旅を楽しむ人に声をかけられたり、夜の居酒屋を訪ねたら、既に酔いがまわったみなさんと乾杯で盛り上がったり…。六角さんの「酒や鉄道が好き」という気持ちがあふれ出て、同じものが好きな同士を自然と引き付ける魅力になっているのだと思います。そしてもう1つ、六角さんが好きなものが“音楽”。来年2月には「呑み鉄」のライブを行いますが、六角さんと同じように「音楽が好き」なみなさんと出会えることが楽しみです。

◆六角精児(ろっかく・せいじ)

1962年(昭37)6月24日生まれ、兵庫県高砂市出身。小学校の時に神奈川県厚木市に転居。厚木高校では演劇部。82年劇団「善人会議」(現・扉座)の旗揚げに参加。96年「六角精児バンド」を結成して、ギター担当。01年から16年までテレ朝系連ドラ「相棒」シリーズで鑑識官の米沢守役でレギュラー。05年フジテレビ系連ドラ「電車男」、06年映画「相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿」に主演。公開中の映画「カーリングの神様」に出演中。175センチ、70キロ。血液型O。

◆NHK BS「六角精児の吞み鉄本線・日本旅」

2015年(平27)4月放送開始。俳優六角精児がローカル線の旅をして列車の中、鉄道沿線の酒蔵、居酒屋で酒を飲みながら地元の人と語り合う。列車走行シーンの音楽は全て六角がセレクトしている。

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