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【復刻】園まりさんが明かした秘話 破談になった恋愛、スターの重圧、そして再起への思い


初の本格的な映画に主演した園まりさん(東京・柿の木坂の東京スタジオ)=1968年8月26日撮影

園まりさんは2011年、日刊スポーツのインタビュー企画「あの人あの時」で、初主演映画の撮影当時の写真を見ながら、スターダムを駆け上がっていた頃の胸の内や、大ヒット曲の誕生秘話などを明かしてくれました。当時の記事を復刻版としてお届けします。記事は2011年11月3日に掲載されました。

◇ ◇ ◇

「あの人あの時」は、来年芸能生活50周年を迎える歌手園まりです。「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」などが大ヒットし、テレビ創成期の60年代を駆け抜けました。ヒット曲をテーマに歌手主演で映画になる時代でもあり、園もその1人でした。6年連続紅白出場、女性歌手のブロマイド売り上げで2年連続1位にも輝きました。68年8月27日付芸能面「園まり、歌を忘れて演技一筋」の写真と記事をもとに、華やかさの裏に隠された真実に迫ります。【笹森文彦】

わ~、懐かしい写真ですね。スチル写真の撮影で現場に松本清張さんがいらっしゃって、すっごく緊張したのを覚えています。

記事にあるように24歳の私で、このころ、恋愛している最中だったんです。本当に初めての恋愛で、人生の転換期を迎えていました。この映画も新たな挑戦の第1歩で、私自身の転機になればと、思っていたころでした。

渡辺プロと歌謡界が大全盛でした。中尾ミエさん(65)伊東ゆかりさん(64)との「3人娘」で人気者に駆け上がって、「何も云わないで」(64年)がヒットして、ソロの仕事が増えたんです。当時のアイドル的な立場でしたから、すべてお膳立てをしてもらい、引き上げられていた。自分から切り開くなんてことはなかった。世間知らずでしたね、本当に。

「逢いたくて逢いたくて」(66年)の時は(作曲の)宮川泰先生(享年75)から「抑えて」と歌い方を伝授された。今から思うと先生は「歌は語りだ」ということを言いたかったと思うのですが、できなくて欲求不満になって。それなのに「逢いたくて-」は大ヒット。クレージーキャッツの犬塚弘(82)から「切なさを出すために目を閉じて歌ってごらん」って。ところが閉じた目に力が入りすぎてけいれんしちゃった(笑い)。でも、きっとそれが色気につながったのかな、と思っています。

自分であって、自分でないような日々が続きました。何か置き忘れたような、空を見上げると、雲が覆いかぶさって来て、圧迫されるような、ストレスとプレッシャーの日々でした。この映画のころ、自分の転機にと頑張った。でも、破談しちゃった。恋愛ご法度の時代でしたから。その後、しばらく芸能界から姿を消して、お店をやっていた時期もありましたね。

母の介護、一緒に介護していたお姉さんの死、そして私自身、乳がんが見つかるなどいろいろな試練がありましたが、今は3人娘でまた活動するなど充実しています。かつてのヒット曲をシャンソン風に歌うなど、宮川先生の言った「歌は語れ」が分かるようになった。新曲は「もう一度逢いたくて」(作詞・作曲羽岡仁、編曲若草恵)です。いろいろありましたが、今は本当に「皆さんに会いたくて、会いたくて」という気持ちで歌っています。

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