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酷暑に冷蔵庫マン!「27時間テレビ」で63歳が鮮やかなやられっぷり「私の武器は寒いダジャレ」


酷暑の日本を「ヒエヒエ~!」にする冷蔵庫マン(撮影・宮地輝)

酷暑お見舞い申し上げます。気温40度にならんとする暑さに耐え、熱闘の続くパリ五輪に熱い声援を送る日本国民の皆さまにお薦めの芸人が、ワハハ本舗の冷蔵庫マン(63)だ。全身白塗り、白タイツに段ボールで作った冷蔵庫を被って「悪の秘密結社・冷え冷え団」に改造された設定で、寒いギャグをとばして「さ~むいっ!」と扉を閉めて「ヒエ、ヒエ、ヒエ~ッ」と周囲全体を冷やす、おかしくも悲しいシュールな芸風だ。9月8日には東京・日暮里の銭湯「斉藤湯」で独演会「雪合戦ヒエヒエショー」を開く。

先日のフジテレビ系「27時間テレビ」では、平成ノブシコブシ吉村崇(44)から「テレビをなめるな!」とドロップキック3連発を食らった。鮮やかなやられっぷりとオーバー還暦の年齢を知った吉村のあわてぶりもウケて、見事に同局系バラエティー「新しいカギ」(土曜午後8時)の出演権を獲得した。

冷蔵庫マンは「私の武器は寒いダジャレなんですよ。30歳ぐらいでワハハ本舗に入って、43歳までは俳優の仕事だけをやってたんですよ。『喰始のショービジネスの作り方』っていうネタライブが始まって、暇な人はネタ作ってネタ見せに来いと。俳優の仕事も年に4回くらいしかないんで、ネタを作ってライブに出てたら、冷蔵庫マンに出会った。これちょっといいなと、冷蔵庫マンになっちゃってもいいかなと思ってそこから芸人になりました」と振り返る。

43歳で冷蔵庫マンになって20年、63歳になった。「完全に芸人になったのは冷蔵庫マンという名前になってからですね。その当時、日テレの『エンタの神様』に出たことがあって、当時の子供で今は30歳くらいの人たちが『昔、テレビで見ましたよ』とか言ってくれることがあります」と振り返る。

元々は正統派の俳優を目指していた。「大学受験で浪人していたんですがどこも入れなくて、東京の東映大泉撮影所大泉にある事務所に入りました。テレビ東京の83年の正月の12時間ドラマ『海にかける虹』という作品で、すぐにデビューしました。主役は亡くなった古谷一行さんで、その長男の役でした。お母さん役は檀ふみさんでした。その後に文学座の研究所に行ったんですが、1年で座員になれなかったんです。そのショックがあったのか、足が動かなくなって6年間の闘病生活でです。老人性リウマチ(リウマチ性多発筋痛症)と言われていたんですけど、6年後に治ったんです」

原因不明で治らないと思っていた病は治ったが、すでに30歳近くになっていた。「復帰して芸能界に入ろうと思ったんですが、当時は30歳には厳しくて。そうしたら知り合いが、ワハハ本舗で素人ダンサーズを募集していると教えてくれたんです。それに応募したら、文学座でセリフをしゃべったことがあると準主役にしてくれたんです。そうしたら面白くて。笑いってすごいなって、自分からアプローチしてワハハ本舗に入れていただきました」。

普通の劇団とは、ひと味もふた味も違うワハハ本舗に入団した。「いやー、びっくりしました。役者さんって演じようと思うじゃないですか。でも、お笑いの世界って笑いを取ろうと、まず思う。初動が違うんで、最初はなかなかアイデアを出せなくて。若手の『オホホ商会』というところでやっていました。全体公演に出られるようになってからは、食って行けるようになりました。ワハハは生きていけるようにギャラをくれるし、あと他の仕事も取ってくれたんですよ」。

7年前に冷蔵庫マンに集中するために、本公演の出演を止めた。「生活は結婚しているんで、奥さんと助け合ってみたいな感じですね。奥さんも働いてるし、子供はいないんで。冷蔵庫マンに手応えっていうか、もうこれで一生やるって決めました。俳優業は2年に1回くらいオファーが来たらやってます。でも、これだけ暑いと、やっぱり冷やしてほしいと思うだろうし、冷やしたいですよね(笑い)。パリ五輪中ですが、マラソン選手が苦しくなったら冷蔵庫マンを思い出してほしいですね。高校球児も、暑い甲子園で思い出して欲しい。知らない人はネットで調べて。テレ朝の『熱闘甲子園』に出られたらいいですね」と話している。

63歳。両親とも公務員だった。堅い家庭だが、自由だった。「俳優になるのに反対はかったですね。まあ、大学全部落ちて“受験戦争”って言われた時代ですから、好きにやらせようと思ってくれたんじゃないですか。今と違って右肩上がりの時代ですから。何をやっても生きてきそうな気がしたし、入って1年目でテレビに出られて、許してもらえてましたね。そこからまた苦難の道が始まったわけですがね。病気の時期がなかったら、芸能界は辞めてたもしれない。病気が治った時に、生きてるだけでそのいいなと。あと2年で65歳になるし、そうしたらちょっとだけど年金ももらえる」と笑顔を見せている。

20年に及ぶ雌伏の時をへて、酷暑の時代がやってきた。人々を救えるのは冷蔵庫マンだけだ! という気がする。【小谷野俊哉】

◆冷蔵庫マン 本名・飯塚俊太郎(いいづか・しゅんたろう)1961年(昭36)5月2日、千葉県野田市生まれ。90年(平2)ワハハ本舗参加。05年冷蔵庫マンで芸人活動開始。06、07年R-1グランプリで準決勝進出。身長175センチ。

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