平成最後の大相撲となった初場所は、白鵬が全勝で史上最多42度目の優勝を飾りました。
その数日後、元横綱双羽黒こと北尾光司さんが亡くなっていたという訃報が。55歳という若さでした。相撲ファンの中にはこう思った人もいるかもれません。
「不知火型か」…。
不知火型(しらぬいがた)とは、横綱土俵入りで見せる型のことです。ではなぜ、北尾さんが亡くなって不知火型だったことを云々言われるのでしょうか?
短命というジンクス
横綱の土俵入り型は、明治時代後期に確立したと言われています。それが雲龍型(うんりゅうがた)と不知火型です。(なぜ2つ?とか深く掘り下げるのはやめておきます)
圧倒的に多いのが雲竜型。
雲龍型は『攻防兼備の型』と言われ、せり上がりの時に伸ばした右手は攻め、胸に当てた左手は守りを表しています。
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【稀勢の里 雲龍型】
雲龍型を確立した20代横綱梅ヶ谷のあと、双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花といった大横綱など、39人がこの型を選んでいます。
不知火型は『攻撃の型』と言われ、せり上がる際に伸ばすダイナミックな両腕が攻めを表すという型です。
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【白鵬 不知火型】
不知火型を確立したのは22代横綱太刀山。その後、不知火型の土俵入りを選択した横綱は10人しかいません。雲龍型が多い理由としては、伝統的に出羽海一門と高砂一門および時津風一門と、多くの部屋で継承されてきたから。
不知火型は、主に旧・立浪一門(現・伊勢ケ浜一門)がこの型を選ぶ傾向にあり、継承者の多さの違いはあるかもしれません。平成あたりから一門の伝承に左右されず好きな方を選ぶ傾向にあります。
横綱・玉の海急死
不知火型が少ない理由の一つとして挙げられるのが「短命」というジンクスです。
最も大きなきっかけは横綱「玉の海」の死でした。
1970年に横綱に昇進した玉の海は、その12年前に引退した吉葉山以来の不知火型を選択しました。この時、ある相撲記者から「吉葉山は1度しか優勝していないので不知火型は縁起が悪い」と言われていたそうです。(ただし吉葉山は横綱昇進時で33歳ながら4年在位した)
玉の海は、1971年9月場所を15日間取り終えたあと、虫垂炎手術後の影響とみられる肺血栓で10月11日急死してしまいます。実は、場所中に虫垂炎を患っていたのですが、10月2日に行われる大鵬引退相撲で太刀持ちを務めたいなど、本人の希望もあって薬で痛みをちらしていました。手術を先延ばしにした影響もあっての急死といわれています。横綱在位10場所での出来事でした。
この国民的スターの死は多くの人に強く印象に残ったことも影響したでしょう。不知火型の嫌なジンクスが持ち上がります。実は、そもそも不知火型は不吉な謂われがいくつかありました。
明治時代初期の大坂相撲(当時は東西に大相撲があった)で活躍した横綱・不知火光五郎が敵なしの強さを憎まれて毒殺された。その怨念。
不知火の「不」は不吉、なくなるという意味にも受け取れる。
また、短命のジンクスに関係なく「攻撃のみの不知火型の横綱土俵入りは邪道」と、ある評論家が言ったことから嫌われた感もありました。
ただ、短命と言っても玉の海のように本当の命まで奪われるとは。
それでも不知火型は継承しなければなりません。玉の海の死から2年後、その役目を受けた琴櫻は在位9場所で引退。その9年後、隆の里は在位15場所で引退します。
この二人、横綱昇進時が琴櫻33歳、隆の里31歳と30代で遅咲きだったこともあるので、ジンクスに当てはめるのはどうかとも思います。雲龍型でも短命だった横綱は多数いますし、不知火型はイメージが先行している感じはありました。
前代未聞の廃業劇
ところが、不吉なジンクスを際立たせたのが双羽黒(北尾光司)でした。
【速 報】
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) 2019年3月29日
大相撲の元横綱双羽黒の北尾光司さんが亡くなっていたことが分かった。55歳だった。https://t.co/ISa66PhO31pic.twitter.com/pOv9qRV7uR
1986年、第60代横綱に昇進した双羽黒は、23歳と若く大柄でこれからの角界を引っ張っていくと期待されました。引退した隆の里の跡を受け継ぐように不知火型の土俵入りを披露しました。
しかし、双羽黒は部屋内でトラブルを起こし廃業。在位8場所、優勝は一度もなしという成績で土俵を去ります。これがまた不知火型の短命イメージを強めてしまいました。
平成に入ってから不知火型を継承した旭富士は在位9場所。若乃花は在位11場所。どちらも横綱昇進後2年足らずで引退する短命でした。ここまで、確かに“不知火型は短命”と単純に言ってしまうならどの横綱も当てはまってしまうかもしれません。
大横綱の誕生
- 相撲ファン 相撲ファン vol.8 (2018年11月08日発売)
Fujisan.co.jpより
短命のジンクスに立ち向かうかのごとく不知火型を継承したのが2007年、第69代横綱に昇進した白鵬です。白鵬はなぜ不知火型を選んだのでしょうか。
白鵬は師匠の竹葉山(宮城野親方)の親方だった吉葉山の孫弟子に当たります。先に言ったように吉葉山は不知火型だったことから選んだそうです。白鵬が初めて行った明治神宮奉納土俵入りでは、吉葉山が現役当時に着けていた三つ揃えの化粧廻しを使用していました。
その後の活躍はご存知の通り。不知火型は短命という不吉なジンクスを吹き飛ばし、現役ながらすでに一世一代の大横綱に君臨しています。不知火型の短命ジンクスは完全に払拭された・・・ようにも思えますが・・・
同じモンゴル出身横綱で不知火型だった日馬富士は2017年に不祥事を起こし、後味の悪い形で廃業しました。
選ばれし者
不知火型を確立した横綱太刀山は、“大正の雷電”と呼ばれ、横綱になってからは3敗しかしていない無類の強さで優勝9回を誇りました。「横綱としては史上最強」という声もあるほどのレジェンドです。
【太刀山 1877年~1941年】
不知火型とは、この太刀山に認められた“最強”に成り得る横綱にだけ、永く土俵入りを任されるのかもしれません。短命のジンクスに屈するような横綱に不知火型は任せられない、太刀山がそんなふうに言っているようにも思ってしまいます。白鵬は太刀山に認められた大横綱というわけです。
白鵬をきっかけに、不知火型は唯一無二の横綱になる可能性を秘めている、そんな新しいジンクスができるようになれば・・・。
平成から令和へ時代が変わり、これからの新横綱は不知火型を多く選ぶようになると相撲の歴史は違う角度の扉を開いてくれるかもしれません。