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昭和の大横綱の父はウクライナ・コサック ハルキウには「大鵬記念館」も


ロシアの軍事侵攻を受けているウクライナのゼレンスキー大統領が、2021年3月23日に国会でオンライン演説。日本への感謝を述べ、更なる支援の継続などを求めましたが、冒頭に「両国の首都は8193キロ離れていて、飛行機では15時間かかりますが、自由を望む気持ち、生きたいという気持ち、それに平和を大切に思う気持ちに距離はありません」と話しました。

大相撲では、東欧出身の力士が多く、ウクライナ人の獅司が現在幕下で奮闘中です。また、昭和の大横綱で幕内優勝32回を誇る大鵬の故納谷幸喜氏は、父親がウクライナ人で母親が日本人ということが知られています。

1940年に樺太(サハリン)の敷香(現在のポロナイスク)で生まれた幸喜氏には、イヴァーン・ボリシコというウクライナ名があったといいます。太平洋戦争末期にソ連軍の南樺太侵攻により母親と共に北海道に引き揚げ、その後道内を転々とし、弟子屈高等学校定時制に在学中の1956年に二所ノ関部屋に入門。1961年に21歳3ヶ月と当時最年少で横綱に昇進します。しかし、長らく自身は父親のことを知らないままでした。

大鵬の父、マルキャン・ボリシコについては2001年にサハリン州の日本研究家によって明らかにされました。彼はウクライナ・ハルキウ(ハリコフ)出身で、コサック騎兵の系譜を継いでいます。樺太にはロシア帝国による極東移住によって入植しましたが、ロシア革命の混乱で社会主義化を嫌い日本領に亡命。敷香で牧場を経営し名士として活躍。そこで洋裁店に勤務していた大鵬の母親と結婚したといいます。

幸喜氏が3歳の頃、樺太庁はウクライナ・ポーランド系の住民を外国人居留地に移送し、マルキャン氏も家族から引き離されることになります。終戦前後で、マルキャン氏はソ連当局に逮捕され強制収容。1954年に恩赦を認められて出獄しましたが、1960年にユジノサハリンスク(豊原)で肺炎のため亡くなりました。

幸喜氏は、母親が死去した際に一枚だけ残されていた父の写真をはじめて見ることができたといいます。研究によってマルキャン氏の足跡が明らかになり、ハルキウには大鵬記念館が建設されました。幸喜氏自身もハリキフで相撲大会を企画し、旧ソ連領出身の力士を輩出しています。また、幸喜氏の孫にあたる王鵬、夢道鵬が力士として、DDTプロレスでは納谷幸男選手が活躍中です。

現在、ハルキウはロシア軍の猛攻を受け、民間施設の被害が報告されています。大鵬と父親の生涯は歴史の濁流に思いを馳せると共に、平和への祈念を新たにできるのではないでしょうか。

※画像はユジノサハリンスク旧北海道拓殖銀行庁舎(ACより)

(執筆者: ふじいりょう)

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