1785年、フランスの数学者で哲学者のコンドルセは、多数決が論理の堂々めぐりに陥ることがあると気づきました。
候補が3人以上いる選挙では、一人ひとりが筋の通った順位を付けても、全体の結論が輪になって回ってしまうことがあるのです。
この「コンドルセのパラドックス」は、およそ240年にわたって数学者や政治学者を悩ませてきました。
今回、3人の研究者が、この難問に「形」があることを示しました。
選挙の矛盾が、なぜ図形として描けるのでしょうか。
一票一票を正しく数えても民意がまとまらないという矛盾は、ある不思議な壺の形と結びついていたのです。
研究の詳細は、2026年1月12日付で『arXiv』に公開されました。
多数決で「別の人」が勝ってしまうことがある

選択肢が2つだけなら、民意を読み取るのは簡単です。
引き分けでない限り、多数が好んだ候補が勝つからです。
ところが候補が3人になると、「勝つ」とは何かを決めることさえ難しくなります。
たとえば、アリスが35%、ボブが34%、キャロルが31%の票を得たとしましょう。
いちばん多く票を集めた人を選ぶ方式なら、勝つのはアリスです。
しかし、キャロルに入れた人が全員、アリスよりボブを好んでいたらどうでしょう。
このとき有権者の65%は、アリスよりボブを望んでいることになります。
数え間違いは一票もなく、問題は「何をもって勝ちとするか」にあるのです。
そこで、有権者に順位を付けてもらい、一騎打ちで他の全員に勝つ候補を選ぶ方法も考えられます。
ところがこの方法では、どの候補も一騎打ちで誰か一人には負ける、ということが起こりえます。
3人でこれが起きると、勝ち負けは輪になって回り、勝者が決まりません。

フランス科学アカデミーの書記だったコンドルセは、会員を公正に選ぶ方法を探す中で、この矛盾に出会いました。
1951年には、経済学者のケネス・アローが、問題の根がさらに深いことを示します。
アローが挙げたのは、自由に順位を付けられる、一人の有権者が結果を独断で決めない、といった素朴な条件です。
ところが、それらをすべて満たす決め方は一つもないことが証明されたのです(アローの不可能性定理)。
英オックスフォード大学のイアン・マクリーン氏は、「民意というものが存在しないことはよくある」と述べています。
選挙の矛盾は、どんな形をしているのか?

この問題に「形」の数学を持ち込もうとしたのが、数学者で経済学者のグラシエラ・チチルニスキー氏です。
1980年、彼女は論文の脚注で、コンドルセのパラドックスは位相幾何学の問題として考えられるかもしれないと書きました。
位相幾何学(トポロジー)とは、引き裂かずに伸び縮みさせて重なる図形を、同じものとみなす数学です。
今回の研究は、この直感が正しかったことを証明したものです。
土台になったのは、ユーリー・バリシニコフ氏が1993年に提案したモデルでした。
候補が3人の選挙では、1枚の投票用紙がとりうる順位の付け方は6通りあります。
そのひとつひとつを、三角形で表します。
三角形の3つの角は、その票に含まれる「2人ずつの比較」にあたります。
「1位アリス、2位ボブ、3位キャロル」の票なら、角は「アリスがボブより上」など3つの比較です。

残りの2つは、「ボブがキャロルより上」と「アリスがキャロルより上」です。
「アリス、キャロル、ボブ」の順の票と比べると、3つの比較のうち2つが一致します。
どちらの票も、アリスを他の2人より上に置いているからです。
そこで2つの三角形は、共通する2つの角を結ぶ辺で貼り合わせられます。
6つの三角形をすべて、一致する辺どうしで貼り合わせていくと、1本の帯ができます。
帯の両端の辺も一致するので、帯を曲げて両端を貼ると、両側に口の開いた筒になります。
ここまでは、一人ひとりの筋の通った順位だけで作った図形です。
問題は、ここに矛盾した「輪」をどう組み込むかでした。
研究チームは、3人の候補で起こる矛盾した輪はどれも論理的に同じなので、一つのものとして扱うべきだと考えました。
図形の上では、この「一つにまとめる」操作は、向きをひっくり返すねじりを加えて貼り合わせることにあたります。

ねじりが要るのは、矛盾した輪には2通りあり、候補をたどる向きが互いに逆になっているためです。
矛盾した輪を曲面の「縁(ふち)」として扱った場合、できる曲面はクラインの壺と同じ形になると証明されました。
クラインの壺は、内側と外側の区別がない不思議な曲面です。

このように表と裏を一貫して決められない性質を、数学では「向き付け不可能」と呼びます。
つまり、多数決の堂々めぐりという矛盾は、図形の上では「表と裏を決められない」性質として現れていたのです。
じゃんけんの輪なら、曲面はねじれない

では、勝ち負けの輪は、いつでもこのねじれた曲面を生むのでしょうか。
研究チームは、矛盾のない正当な輪についても、同じ枠組みで調べています。
その代表がじゃんけんで、グーはチョキに、チョキはパーに、パーはグーに勝ちます。
じゃんけんでは輪になるのが当たり前で、そこに矛盾はありません。
この場合にできる曲面は、表と裏をきちんと決められる「向き付け可能」なものでした。
向き付けられない曲面が現れたのは、好みには筋道がある、と前提したときです。
筋道とは、「AがBより上で、BがCより上なら、AもCより上」という決まりのことです。
この前提のもとでは輪が矛盾になり、その矛盾がねじれとして図形に刻まれたのです。
また、輪の組み込み方によって、できる形が変わることも分かりました。

輪を縁ではなく、曲面の中の「つぎあて」として組み込むと、曲面は実射影平面(球面の正反対にある点どうしを同じ点とみなしてできる曲面)と同じ形になります。
実射影平面も、クラインの壺と同じく向き付けられない曲面です。
一方、じゃんけんのような矛盾のない輪を同じように「つぎあて」として組み込むと、筒の口にふたをした形になり、これは球面と同じ形です。
輪を図形の中に組み込むこの考え方は、輪を含む好みの集まりと含まない集まりを見分けるのに欠かせないものでした。
これを使って研究チームは、アローの不可能性定理を言い直しました。投票の決め方から作られる曲面が、向き付け可能かどうかという言葉で表したのです。

論文は、さらに広いつながりの可能性にも触れています。
以前、リブソン氏とプロコペンコ氏は、ゲーデルの第一不完全性定理(自然数の計算を扱える数学の体系は、矛盾がなければ、正しいとも間違いとも証明できない命題を必ず含むという定理)とアローの定理を形式的に結びつけていました。
その分析では、論理学の「ゲーデル文」が、矛盾した輪を生む票の組み合わせと同じ役割を果たしていました。
ゲーデル文は、「この文は嘘である」のような嘘つきのパラドックスと実質的に同じものとされています。
また数学者のグリスト氏は、矛盾した輪の裏には、ペンローズの三角形や「上り続けると元の場所に戻ってしまう階段」を組み立てられないのと同じ種類の不可能性があるのではないか、という仮説を立てています。上り続ける階段の輪は、上り続ける好みの輪にたとえられるというのです。

研究チームは、堂々めぐりや自己言及の根っこに、さらに深い関係が潜んでいる可能性を示唆しています。
ただしこれは見通しとして示されたもので、そうした関係はまだ仮説の段階です。
また今回の成果は、矛盾をなくす新しい投票方式ではなく、なぜ矛盾が避けられないのかを図形で探る道具です。
マクリーン氏は、制度を作る側は「どの条件を破るのが最も害が少ないか」を選ばなければならないと語ります。
6通りの投票用紙を三角形にして貼り合わせ、矛盾した輪をねじって一つにまとめると、選挙の堂々めぐりは、表も裏もない壺のねじれとして姿を現すのです。
写真で見る選挙と不思議な形













参考文献
How Voting Is Like a Klein Bottle (Quanta Magazine)
https://www.quantamagazine.org/how-voting-is-like-a-klein-bottle-20261026/
元論文
The Non-Orientable Topology of Condorcet's Paradox
https://doi.org/10.48550/arxiv.2601.07283
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部
