アメリカのシラキュース大学(SU)などで行われた研究によって、精子どうしが手をつないで束になる”チーム戦”が、節足動物では約5億年前に生まれ、進化史の3分の2の時間を占めるほどありふれた戦法だったことが明らかになりました。
何億もの精子が1個の卵子めがけて一斉に走り、先頭の1匹だけが受精する、おなじみの精子の「かけっこ」の風景は、節足動物の進化史においてはむしろ少数派だったのです。
共著者のスティーブ・ドラス氏は「受精はしばしば精子どうしの競争と見なされますが、多くの種では、細胞どうしが協力して生殖の成功を左右しうることが分かってきました」と述べています。
なぜ精子は、ライバルであるはずの仲間と手を組むのでしょうか?
研究内容の詳細は2026年6月3日に『Nature Communications』にて発表されました。
目次
- 「一番速い精子が勝つ」と習ったはずだった
- なぜ精子はチーム戦をするようになったのか?
「一番速い精子が勝つ」と習ったはずだった

受精と聞いて頭に浮かぶ絵は、たいてい同じです。
何億もの精子が1つの卵子に殺到し、先頭でたどり着いた1匹だけが中に入り残りはすべて負け。
私たちは精子についてずっと個人競技の選手として描かれてきました。
「あなたは数億分の1の競争を勝ち抜いた1匹だった」という言葉も、そんな印象にもとづくものです。
ところが虫の世界には、例外がありました。
2匹が頭をぴたりと合わせて泳ぐもの、数百匹が頭を寄せ合って1つのかたまりになるもの、細い棒に多数の精子が整列して並ぶものなど、精子どうしが物理的にくっついて1つの集団にまとまる「精子接合(sperm conjugation)」と呼ばれるチーム戦が複数のグループにまたがる幾つもの種にあることが知られていました。
とはいえ、精子のチーム戦は、たまたま何度か生まれた程度の、進化のなかでは珍しい工夫だろうと長く考えられてきました。
またグループごとの研究は進んでいたものの、節足動物全体でチーム戦がいつ生まれたのかという部分も謎でした。
そこで今回研究者たちは、さまざまな節足動物や近縁のクマムシなどの精子の写真が載った論文を数十年分調べ上げることにしました。
その総数は621種に上ります。
すると、チーム戦を行う精子は、クモの仲間、ムカデの仲間、カニやエビの仲間、そして昆虫の仲間という、いま生きている節足動物の大きなグループすべてに見られることが確かめられました。
次に研究者たちは、このチーム戦がいつ頃出現したかを、系統樹を遡りながら調べることにしました。
すると節足動物の共通祖先の精子は、1匹ずつばらばらの、ごく普通の精子だったものの、カンブリア紀からオルドビス紀にあたる4億5000万〜5億年ほど前に、昆虫の祖先にあたる生き物が最初にチーム戦を始めたことがみえてきました。
つまりすべての昆虫の共通祖先は、すでに精子を束ねたチーム戦を行っていたと考えられるのです。
ただ、そこから先の歴史は、一直線ではありませんでした。
現在に生きる節足動物たちの精子がチーム戦を行っているかを詳細に調べると、先祖ではチーム戦をしていたものの、現在はやめているもの。
さらに先祖はチーム戦をやめていたのに、さらにその先でふたたび束をつくるようになったものがあることが見えてきました。
研究者たちがそれらの情報をまとめたところ、束ねる仕組みは節足動物の系統樹のあちこちで独立に約45回生まれ、ほぼ同じ回数だけ失われていることがわかりました。
ある系統で消えても、別の系統ではまた新しく生まれる。その繰り返しがあったわけです。
ですがそんな繰り返しがあっても、系統樹の線を、精子が束になっていた期間だけ色で塗っていくと、線全体の3分の2が塗りつぶされることがわかりました。
進化の時間で測れば、1匹ずつばらばらの精子のほうがむしろ少数派だったわけです。
さらに研究では、チーム戦の型には主に5種類があり、どのタイプも精子を束ねる”糊”があることがわかりました。
精子の外側にまとわりつくこの分泌物(精子付随物質、SAM)は雄の体内で精子に加えられ、この糊がかたまりになるか、棒になるか、鞘になるかで、チーム戦の型が決まっていました。
なぜ精子はチーム戦をするようになったのか?

では、束ねると何が得なのでしょうか。
まっさきに思いつくのは、束になれば速く泳げる、という答えです。
精子が向きをそろえて並ぶと、水の抵抗は匹数のぶんだけ素直に増えるわけではありません。
ところが尾のほうは数匹ぶんが同時に打つので、抵抗の増え方より推進力の増え方が上回る、という理屈です。
実際、束を作らないウシの精子でも、同じ方向へ泳ぐ精子どうしが触れ合うと尾の打ち方が自然にそろい、1匹のときより速くなることが確かめられています。
くっついた瞬間から速くなるのなら、分泌物で貼りついただけの粗い束にも、生まれたその場で意味があります。
ところが、この説明では収まらない束があります。
袋に詰められたタイプの束は、メスの体内で袋を脱ぐまでまったく動きません。
速く泳ぐための工夫なら、泳げなくなる形にたどり着くのは筋が通りません。
また棒型にも引っかかりがあります。
棒のなかには、精子が1匹もついていない区間が長く続くものがあるのです。
精子をまとめて並べるだけなら、余った部分は要りません。
そのうえ、束になった精子の速さを実際に測った研究は今も少なく、結果もまちまちです。
速さのためという説明は、有力ではあっても裏づけが足りていないのが現状です。
そこで研究チームが目をつけたのが、精子をくっつけている糊のほうです。
実は精液には、メスの体内で精子をささえ、受精の成否を左右するタンパク質が含まれています。
ということは、束ねる工夫は、精子を速く泳がせるためだけではなく、受精を助ける道具を精子自身に運ばせるためにも生まれたのかもしれません。
ただし現段階でこれは仮説であり、束ねることの利点は、いまのところどの種でも確定していません。
また今回調べられたのは節足動物であり、ヒトの精子が束になるという話でもありません。
それでも今回の研究により、節足動物の進化史では精子は1匹でいるよりも、チームを組んでいる時間のほうが長かったことが示されました。
草むらのバッタも、台所に出るゴキブリも、この工夫を祖先から受け継いだままです。
競争か協力かではなく、どちらをどう組み合わせるか。
「協力は、生物としての成功を形づくるうえで、競争と同じくらい重要なのです」とドラス氏は述べています。
元論文
Pervasive convergent evolution of sperm conjugation across the Arthropoda tree of life
https://doi.org/10.1038/s41467-026-73950-z
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
