温泉に浮かぶ白い「湯の華」(ゆのはな)をご存じでしょうか。お湯の流れの縁や岩肌にうすい皮のように析出して固まる沈殿物で、「温泉の華」とも呼ばれます。
一見するとただの温泉成分の固まりです。
しかし日本の北海道大学(北大)などで行われた研究により「湯の華(ゆのはな)」から作られる珪華という岩には近くの木々やコケなど周囲の植物が閉じ込められ、過去の生態系をまるごと保存する天然の「タイムカプセル」として働いていることが明らかになりました。
海外の有名な温泉地では周囲に植物がほとんど育たない厳しい環境となる場合が多いですが、日本の温泉のように森と共存する環境であれば、周囲の生態系を豊かな状態でまるごと保存することができます。
身近な温泉が実は過去の生物や環境を知る重要な記録装置として機能している――私たちが普段何気なく訪れている温泉の足元には、どんな秘密が隠されているのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年8月5日に『Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology』にて発表されました。
目次
- 日本だからこそできた研究
- 「湯の花」が生態系を保存していた
- 見慣れた温泉が“生態系の博物館”に
日本だからこそできた研究

温泉に入るとき、湯船に白っぽい粉のようなものが浮いていたり、温泉の湯気で真っ白に固まった岩肌を目にすることがありますが、これらの白いかたまりの正体を知っていますか?
実は、これは温泉水に含まれているいろいろな成分が外に出てきて、岩や壁にくっついてできたもので、「湯の華」(ゆのはな)と呼ばれています。
温泉水には地下の岩石から溶け出したさまざまな成分が含まれており、それらが地上に出て温度が下がったり水が蒸発したりすると、水に溶けきれなくなった成分が固まり、湯の華として析出(せきしゅつ:液体から固体が出てくること)します。
湯の華には、炭酸カルシウム(貝殻や鍾乳洞などの主成分)や硫黄などいろいろな種類がありますが、特にシリカ(二酸化ケイ素:ガラスや石英の原料)を主成分としている湯の華は「珪華」(けいか)という特別な名前で呼ばれています。
この珪華は、ただの温泉の成分が固まったものというだけではなく、地球の過去の歴史を伝える特別な役割を持っています。
その秘密は、珪華が作られるプロセスにあります。
温泉水に含まれているシリカという成分は、お湯が熱いうちはよく溶けていますが、地上に出て冷えたり乾いたりすると、ゆっくりと析出して固まっていきます。
その際、温泉の周りに生きている植物や微生物、小さな昆虫などが近くにいると、シリカが固まるときにそれらの生き物を巻き込みながら少しずつ成長していきます。
こうして珪華の中に閉じ込められた生物は、そのまま石のように固まり、長い年月をかけて化石となって残ります。
実際に地球上では、この珪華によって数億年前の植物がはっきりとした形で化石として保存されている場所があります。
これらの化石は植物の細胞レベルまで綺麗に残っていて、まるで過去の生態系を閉じ込めた「天然のタイムカプセル」のような存在です。
今回の研究でも、現代に形成されている珪華の中から昆虫が取り込まれている様子が確認されており、珪華が生き物を記録する能力の高さが改めて明らかになりました。
ただし、これまでこうした珪華の保存能力を調べる研究の多くは、アメリカのイエローストーン国立公園など、巨大な温泉が噴き出す場所を中心に行われてきました。
イエローストーンでは「間欠泉(かんけつせん:定期的に熱水を噴き上げる温泉)」のような激しい地熱活動が起きています。
そのため、噴き上げられた熱水とシリカの影響で周囲の森は枯れ果て、生き物が住める環境は非常に限られてしまっています。
こうした環境で珪華の中に取り込まれる生物は、高温や厳しい環境でも生きられる微生物や一部の特殊な植物に限られてしまい、化石として残される生き物の種類が非常に少ないというのが従来の常識でした。
例えるならば、これまで研究されてきた珪華が残した地球の生命の記録は、「モノクロ写真」のように限られた情報しか伝えてこなかったのです。
では、もし温泉の周囲にもっと豊かな自然環境があれば、珪華はさらに多彩な生態系の姿を映し出す「カラー写真」のようなものになるのでしょうか?
温泉が湧き出す場所の環境が違えば、珪華が保存する生き物の種類も変わり、もっと豊かな情報が残せるかもしれません。
こうした疑問に挑んだのが、北海道大学の伊庭靖弘准教授らの研究チームでした。
研究チームが注目したのは、日本の温泉地です。
日本列島は、火山活動が盛んな「島弧(とうこ)環境」という場所に位置しており、全国各地に大小さまざまな温泉が湧き出しています。
特に日本では、激しい間欠泉ではなく、森の中にひっそりと点在するような小さな温泉が多数あります。
こうした温泉は、熱水が周囲の豊かな森林を破壊することなく、森と共存しながら穏やかに流れ出しています。
そのため、周囲の森林に生きるコケや樹木、小さな昆虫まで、多種多様な生き物を丸ごと珪華に取り込んで化石として保存してしまう可能性が高いのです。
そこで今回の研究では、日本の森林に点在するこうした小さな温泉がつくる珪華に注目し、「珪華が実際にどのように形成されているのか」、そして「そこにどのような生き物が取り込まれているのか」を詳しく調べることを目的として、これまでになかった初めての包括的な調査を行いました。
「湯の花」が生態系を保存していた

研究チームはまず、国内の温泉地のなかから特に珪華(けいか:シリカを主成分とする湯の華)の調査に適した場所を探しました。
そこで選ばれたのが、長野県安曇野市にある「中房(なかぶさ)温泉」という温泉地です。
ここは北アルプスの燕岳(つばくろだけ)の山麓に位置し、急斜面の山あいにある「秘湯」としても知られる場所です。
1928年には、「中房温泉の膠状珪酸(こうじょうけいさん:ゼリー状のシリカ)および珪華」として国の天然記念物にも指定されていて、温泉成分が貴重な自然遺産として昔から大切に保護されています。
中房温泉の調査エリアは、ヒノキなど針葉樹が中心の豊かな森林に覆われていました。
研究チームが現地を詳しく調べてみると、約100メートル四方というそれほど広くない範囲に、直径がわずか数センチほどの小さな温泉の湧出口(お湯が地面からしみ出してくる場所)が、なんと32箇所も点在していることが確認されました。
それぞれの湧出口からは、摂氏80℃を超えるかなり高温の熱水が静かにしみ出し、森の中の斜面を細い流れとなってゆっくりと流れ下っていました。
この熱水には大量のシリカが溶け込んでいるため、地表に出て流れていく途中で温度が下がったり、水が蒸発したりすると、少しずつシリカが固まって珪華という白い層が出来上がります。
実際、中房温泉では、こうした珪華の堆積物が長さおよそ40〜56メートル、幅5メートル未満という帯状になって斜面に広がっていることが分かりました。
このような景色は、海外で知られるような巨大な間欠泉が噴き出す温泉地とはまったく異なり、熱水が静かに流れて豊かな森林と共存している、日本の島弧環境(とうこかんきょう:火山が連なる地帯)の特徴をよく表したものでした。
次に、研究チームはこの珪華の層をさらに詳しく調べるために、現地で実際にサンプルを採取して研究室で分析を行いました。
その結果、珪華の中には森に生えていたさまざまな植物の破片が数多く取り込まれていることが明らかになりました。
例えばヒノキのような針葉樹の葉や枝、小さな広葉樹の葉、木の実、そしてコケ植物のような小さな植物まで、本当に多彩な植物が珪華の中にそのままの形で封じ込められていました。
顕微鏡を使った詳しい観察から、これらの植物片の中には細胞のひとつひとつの構造までがはっきりと鮮明に残っているものもありました。
つまり珪華は植物を単に取り込むだけでなく、細胞レベルで植物の形をそのまま「石のアルバム」のように保存していたのです。
さらに植物だけでなく、小さな昆虫の体の一部や微生物までが珪華に取り込まれていることも今回確認されました。
このことから、中房温泉で作られた珪華は、周囲の森林に暮らす多様な生き物たちをそのまま閉じ込め、丸ごとパッケージ化した「天然の保存容器」のような役割を果たしていることが明確になりました。
また、研究チームは中房温泉の珪華がなぜこうした豊かな生物を保存できるのか、その環境条件にも着目しました。
調査エリアでは、斜面の上の方から多数の小さな湧き水がしみ出し、それらが細い流れとなって森の中を下っていきます。
湧出口付近ではお湯の温度が80℃以上と非常に高いため、この場所で形成された珪華には、主に熱に強い微生物の痕跡が多く残されていました。
しかし、熱水が斜面を下るにつれて徐々に温度が下がり始め、中流から下流に進むと水温が低下します。
するとそこには耐熱性の微生物だけでなく、コケ植物や森林の落ち葉、小枝など、多様な植物がシリカの沈殿によって次々に取り込まれていくようになりました。
つまり、熱水が流れる間に少しずつ温度が変化していくことによって、珪華が生き物を取り込む範囲や種類も変化していたのです。
とくに重要だったのは、熱水の流れの「縁(ふち)」の部分で珪華が特に厚く成長する一方で、水が常に流れている川底ではほとんど珪華が形成されなかったことです。
また、日当たりの良い南向きの斜面では太陽光で水がよく蒸発し、その結果シリカがより多く析出して珪華の成長がさらに活発になっていました。
このように、中房温泉の環境では、熱水の温度差や太陽光による蒸発といったさまざまな条件が絶妙に組み合わさって、植物や微生物を閉じ込めた珪華が形成されていることがはっきりと分かりました。
これらの結果は、海外の大規模な温泉地とは異なり、日本のような小規模な温泉環境だからこそ実現できる、多様な生物を化石として保存する新たなシステムを示した非常に重要な発見だと言えます。
見慣れた温泉が“生態系の博物館”に

今回の研究では、日本のような火山活動が活発な「島弧(とうこ)環境」の森林斜面でできる珪華(けいか:シリカという鉱物が固まった温泉の沈殿物)が、非常に特殊な「天然の化石工場」として働いていることが明らかになりました。
この天然の化石工場とは、温泉が流れる場所に育つ植物や生き物をそのままシリカで包み込んで、徐々に石のような化石にしてしまう仕組みです。
言い換えれば、生き物が暮らしている森そのものが、温泉の働きによってまるごと保存されてしまう「タイムカプセル」になっているのです。
なぜこの発見が特別に注目されるのでしょうか。
それは、これまで科学者たちが抱いてきた「珪華が記録できる生き物は限られている」という常識を覆す新しい事実だからです。
これまでの研究では、海外にあるイエローストーンのような巨大な間欠泉が噴き上がる温泉地を中心に調査が行われてきました。
そうした環境では、熱水の勢いが強すぎて周囲の森や草地が破壊され、生き残れる植物や生物の種類は非常に限られてしまっていました。
そのため、これまで見つかってきた太古の珪華化石にも、特殊で限られた種類の生き物しか閉じ込められていないだろうと考えられてきたのです。
つまり、これまでの珪華が記録してきた地球の歴史は、「モノクロ写真」のように情報量が限られているものだとみなされていました。
しかし、今回の日本のような環境は、こうした海外の巨大な温泉地とはまったく異なっています。
森の中で静かに流れ出す小さな温泉が、豊かな自然環境と共存しています。
こうした環境では、植物や昆虫、微生物などが多様に暮らし、珪華がこれらを自然な状態のまま封じ込めることが可能になります。
例えるなら、この新しいタイプの珪華は、生態系の豊かさをそのまま保存する「カラー写真」のような存在になりうるのです。
そのため研究チームは、今回調査した中房温泉のような現代の環境を、過去にできた珪華化石の成り立ちや保存された生物を理解するための「現代の有用な手本(modern analog)」として位置づけました。
つまり、中房温泉の珪華をよく調べて仕組みを知ることで、過去の地球に存在した多様な生き物やその当時の環境についてより深く知ることが可能になるのです。
実際、これまで古生代や中生代など大昔の地層からも珪華の化石が見つかっていますが、これらの化石が保存している生き物の種類や数はあまり多くないと考えられてきました。
しかし今回の研究成果によって、実はこれらの化石にも、まだ発見されていない多くの生物が記録されている可能性があることがわかってきました。
つまり、古い珪華化石を改めて詳しく調べ直すことで、これまで見過ごされてきた多彩な生物の痕跡が見つかるかもしれないのです。
さらに今回の発見は、私たちの身近な自然環境への見方を大きく変える可能性があります。
日本には各地に温泉がありますが、その多くは森や山のなかにひっそりと湧き出しています。
これらの温泉地は、観光地やリラックスする場所として親しまれていますが、その足元には、将来の研究者たちが過去を調べるための重要な手がかりがひっそりと隠されているかもしれません。
普段は気づかなくても、私たちが何気なく訪れている温泉地には、未来に向けての「自然からのメッセージ」が刻み込まれている可能性があるのです。
「湯けむりの陰に化石あり」――そんなロマンと発見の可能性を私たちに示した、極めて重要でワクワクするような研究成果だと言えるでしょう。
元論文
Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology
https://doi.org/10.1016/j.palaeo.2025.113176
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部