「せっかくの休日くらい、何も考えずダラダラしたい」――多くの人がそう願うかもしれません。
しかし、カナダのトロント大学(University of Toronto)で行われた研究によって、パズルやスポーツ、創作活動のような、あえて「ちょっと努力のいる遊び」に取り組む人ほど、自分の時間により大きな意義や充実感を感じることが明らかになりました。
さらにこの研究では、努力を伴う余暇活動だからといって楽しさが失われることはなく、むしろ楽な娯楽より楽しめる可能性すらあることも示されています。
私たちはリラックスを求めて手軽な娯楽を選びがちですが、実はそれで大切な「充実感」や「生きがい」を逃しているのかもしれません。
楽な娯楽だけを選んでいると、人生の意味や目的を感じにくくなってしまうのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年7月24日に『Communications Psychology』にて発表されました。
目次
- 休日ゴロゴロ派、人生の意味を逃しているかも?
- 「楽な娯楽」は人生を薄める?「ちょいムズ余暇」のすすめ
- ちょっとだけ頑張る余暇
休日ゴロゴロ派、人生の意味を逃しているかも?

私たちは毎日の生活のなかで、学校や仕事といった「やらなければいけないこと」にかなりの時間を使っています。
大人になって働くようになると、1日の多くの時間は仕事に取られてしまいます。
例えばアメリカで仕事をしている人の場合、起きている時間のだいたい半分くらいは仕事をして過ごしています。
ですが実は、この「仕事の時間」は昔に比べてどんどん減ってきているのです。
過去100年以上にわたって、仕事に使う時間は少しずつ減り、その代わりに自由に使える時間(余暇)が増えています。
しかも、これから未来に向けて、この「仕事の時間」はさらに減っていくと考えられています。
その理由は、ロボットや人工知能(AI)の登場です。
近い将来、多くの仕事がロボットやAIに置き換えられて、人間が働かなくても良くなる可能性があるのです。
これは一部で「自動化爆弾」と呼ばれています。
「働かなくてもいい時間が増える」と聞くと、とても良いことのように思えます。
ですが、本当に良いことばかりでしょうか?
実は、多くの人にとって「仕事」は生活費を稼ぐだけでなく、生きがいや人生の意味を与えてくれる大事な役割を果たしています。
嫌われがちな仕事や勉強も、実際には自分にとっての目的ややりがいを感じるための大切な場所なのです。
そう考えると、もし仕事が減って余暇ばかりが増えたら、「人生の意味」や「生きがい」を感じにくくなってしまうのではないでしょうか?
しかしここで考えてほしいのは、「人生の意味を感じるのは、必ずしも仕事だけとは限らない」ということです。
実際、私たちは普段の生活でも、友達と遊んだり、趣味に没頭したりするときに「楽しい」だけでなく「意味がある」と感じることがあります。
「一見大変そうな趣味や遊び」に取り組む人も多くいます。
たとえば、ボランティア活動や、難しいゲームに挑戦したり、スポーツに打ち込んだりする人たちです。
こうした、「自分が選んで頑張ってやる余暇活動」は、専門的には「シリアス・レジャー(真剣な余暇)」と呼ばれています。
「シリアス・レジャー」とは、ただリラックスしたり、だらだら過ごしたりする余暇ではなく、自分が好きで自主的に努力を伴って取り組む活動のことです。
興味深いことに、こうした努力を伴う余暇は、時には「楽しむだけ」の娯楽よりも、より深く人生の意味や充実感をもたらす可能性が指摘されています。
仕事が減った未来では、こうした「努力を伴う遊び」が、「仕事が持っていた生きがいや目的感」を埋め合わせてくれるのではないかと考えられています。
そこでカナダにあるトロント大学(University of Toronto)の研究チームは、次のような疑問を抱きました。
「余暇の過ごし方次第で、仕事がなくなってしまっても人生の意味を補えるのだろうか?」
私たちは自由な時間があると、つい何もしないで楽な娯楽ばかりを選びがちです。
例えば、テレビをぼーっと眺めたり、スマホでSNSをダラダラと見続けたりするような、あまりエネルギーを使わない遊びです。
でも、研究者たちは「人は確かに余暇ではリラックスしたいと思っているけれど、本当は『ちょっと大変な活動』のほうに意味や充実感を感じる傾向があるのではないか」と考えました。
これが、研究チームが探りたかったことです。
つまり彼らは、「仕事が減る未来においても、『努力が必要な余暇』が、意味深さ、充実感、目的感を支えてくれる可能性があるのでは?」と考えたのです。
こうした疑問を明らかにするために、研究チームは合計で5つの研究を行いました。
「楽な娯楽」は人生を薄める?「ちょいムズ余暇」のすすめ

この研究では、全部で5つの調査や実験が行われました。
その目的は、余暇に行う活動の「努力の大きさ」が、人々が感じる「意味」や「楽しさ」にどのように影響するのかを科学的に調べることでした。
まず、最初に行われたのは「研究1」という調査です。
この調査では、大学生1145人に、ふだんの日常生活で行っているさまざまな活動について質問しました。
具体的には、「どのくらい努力が必要か?(大変さ)」「どれくらい意味があると感じるか?(意味深さ)」「どれくらい楽しいか?(楽しさ)」の3つのポイントを聞いています。
その結果、多くの人が「努力が必要な活動ほど意味がある」と考えていることがわかりました。
逆に言えば、楽で手軽な活動ほど「あまり意味はない」と考えられていました。
例えば、人のために行うボランティア活動は、テレビをだらだら見るよりも「意味がある」と評価されました。
ただし興味深いことに、同時に人々は「努力をすると、その分あまり楽しくないのではないか?」とも考えていたのです。
つまり、多くの人は「意味があること」と「楽しいこと」は、同時には手に入りにくい、どちらかを取るともう片方が減ってしまう(トレードオフの関係)と感じていたわけです。
では、本当にそうなのでしょうか?
そこで研究チームは、「研究2a」と「研究2b」、そして「研究3」という3つの実験を行って、実際に「努力の必要な余暇」と「努力がほとんど必要ない余暇」を体験した時の人の感想を調べました。
研究2aと研究2bでは、数独という頭を使うパズル(努力がいる活動)と、YouTubeでかわいい動物の動画を見ること(努力がほぼ必要ない活動)の2種類の活動を比較しました。
一方、研究3では、同じく数独パズルと、「クリックするだけで簡単に絵が表示されるゲーム」を比較しました。
いずれの実験も、「どちらの活動のほうが意味があると感じるか?」また「どちらがより楽しいと感じるか?」ということを比べました(細かい実験方法は次のセクションで詳しく説明します)。
結果は非常にはっきりとしていました。
数独パズルのように「努力が必要な活動」をした人たちのほうが、「動画を見るだけ」や「クリックするだけ」の活動をした人たちよりも、その時間を「意味がある」と強く感じていました。
しかも意外だったのは、数独のように努力のいる活動であっても、「楽しさ」がまったく失われなかったことです。
むしろ、場合によっては簡単な活動よりも楽しめることもあったのです。
私たちは普段、「大変なことをしたら楽しめないはずだ」と考えがちですが、実際にやってみると、「努力的な遊び」でも十分に楽しさを感じることができました。
ここで終わりではありません。
研究チームはさらに「研究4」と呼ばれる調査で、実際の生活のなかで「努力的な活動」をすると、どのような気持ちになるのかを確かめました。
研究4では、260人ほどの参加者に1週間ふだん通りの生活を送ってもらい、スマートフォンを使って、その瞬間に「何をしているか」「その活動がどれくらい大変か」「どれくらい意味を感じるか」「どれくらい楽しいか」についてリアルタイムで答えてもらいました。
この方法を使うと、人々がまさにその活動をしているその瞬間に、どんな気持ちなのかを正確に知ることができます。
調査の結果、人は「努力が必要な余暇」をしている瞬間に、やはり「意味深さ」をより強く感じていることがわかりました。
例えば、料理をしているときに「頑張って凝った料理を作る」と、単に「レンジで簡単に温める」よりも意味や充実感を感じやすかったのです。
さらに注目すべきは、「楽しさ」についての結果でした。
仕事や家事のように「やらなくてはいけないこと」では、努力が大きくなると楽しさが下がってしまう傾向があります。
しかし、余暇の範囲では、努力をするほど楽しさが下がることはほとんどありませんでした。
つまり、自分が好きで自主的に選んだ「努力的な活動」は、努力をしてもむしろ楽しさを維持できるということです。
これらの結果をまとめると、私たちが普段抱いている「努力的な活動は楽しめない」という考えは間違いであることが示されています。
余暇においては、むしろ少し努力した方が、「楽しさ」と「意味深さ」「充実感」「目的感」を同時に手に入れられる可能性があるのです。
ただし、重要な注意点もあります。
努力が増えれば増えるほど意味がどんどん大きくなるわけではありません。
あまりに難しすぎたり、過度に頑張りすぎたりすると、意味深さや充実感の感じ方が頭打ちになってしまいます。
つまり、適度な難しさを選ぶことが大切なのです。
あくまで「自分が無理なく楽しんでできる範囲で、少し頑張る」ことが、最も良い方法だと言えます。
ちょっとだけ頑張る余暇

これまでの研究結果から、私たちが余暇の時間をどのように過ごすかによって、「意味深さ」「充実感」「目的感」が大きく変わってくることが分かりました。
私たちは、忙しい毎日のなかで自由な時間(余暇)があると、つい楽な方法を選んでしまいます。
休日にソファで寝転がってスマホをずっと見たり、テレビや動画をただぼんやり眺めたりと、あまりエネルギーを使わない方法で過ごすことは、多くの人にとって自然なことです。
しかし、この研究は「本当にそれで良いの?」という大切な問いかけをしています。
研究によると、ちょっと大変でも自分が好きで選んだ遊び(努力的余暇)に取り組むと、より大きな意味や充実感を感じられることがわかりました。
私たちは普段、「頑張ることは疲れる」「努力は大変だ」と考えがちです。
確かに、宿題やテスト勉強のような義務的なことでは、「努力すればするほど疲れて楽しくない」と感じることが多いでしょう。
でも、余暇のように「自分が好きで選ぶ活動」では、多少努力が必要であっても、実は楽しさが減らないことが分かっています。
この研究の興味深い点はまさにここで、人は余暇の努力について、実際よりも「大変だ」と思い込みすぎている可能性があるということです。
実際、研究の筆頭著者はこの点について、「私たちは余暇における努力を、実際よりも大げさに嫌なものだと考えてしまっているかもしれません。実際には、少しだけでも努力をするほうが自分の行動を意味深く感じやすくなる可能性があります」と述べています。
つまり、「努力的余暇」には、私たちがイメージしている以上に、「やりがい」や「楽しさ」が詰まっているというわけです。
心理学には、「フロー」という有名な理論があります。
フローとは、スポーツや趣味、ゲームなど、自分の能力と課題の難しさがちょうど釣り合ったときに起こる特別な心理状態のことです。
この状態になると、人は時間を忘れてその活動に没頭し、最高に楽しくて充実した気持ちを味わえると言われています。
今回の研究から分かることは、まさにこの「フロー」につながるような活動、つまり自分にとって少し難しくて努力が必要な余暇を選ぶことが、重要な意味を持つということなのです。
では、私たちの社会全体にとって、この研究はどのような意味を持つでしょうか?
現代はロボットやAIの登場で、私たち人間の仕事や役割がどんどん減っていく時代になりつつあります。
一見すると自由な時間が増えて良いようにも感じますが、一方で仕事という「生きがい」を失ってしまう人が増えるかもしれません。
そこで重要になるのが、この研究が示した「努力的余暇」の考え方なのです。
今回の発見は、「努力的余暇」が将来的に仕事が減った社会で、人々の「人生の意味」や「幸福感」を支える重要な柱になる可能性を示しています。
つまり、余暇において受け身で楽な娯楽だけに頼るのではなく、趣味や遊びなどであえて自分から「挑戦する」「努力する」という意識を持つことが、人生の充実感や生きがいを高めるカギになるのかもしれません。
また、この考え方は、教育や子育てにも大切なヒントを与えます。
子どもに自由時間を与える際にも、テレビやゲームばかりではなく、パズルを解かせたり、工作やスポーツなど、楽しみながら少しだけ難しいことに挑戦させることが、子どもの将来の幸せや生きがいにつながる可能性があります。
もちろん、このような教育的効果については、今回の研究とは別にさらなる検証が必要ですが、将来の指針として重要な手がかりになるでしょう。
ここまでの話をまとめると、余暇の過ごし方一つで、私たちの人生は大きく変わる可能性があるということです。
「努力的余暇」の考え方は、楽な娯楽ばかりを選んでいる私たちにとって、「少し難しいけれど、自分が楽しめる挑戦をしてみよう」と呼びかけるものです。
皆さんも次の休みには、「少し頑張ってみようかな?」と感じるような活動に取り組んでみてはいかがでしょうか。
それが、あなた自身の人生をより豊かで充実したものにしてくれるかもしれません。
元論文
Effortful leisure is a source of meaning in everyday life
https://doi.org/10.1038/s44271-025-00292-9
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部