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「人間の血を蚊の毒に変える薬」の大規模試験に成功


人間が自ら「蚊取り線香」のように蚊を追い払えたら――そんな夢のようなマラリア対策が現実に近づいています。

実は、寄生虫症の治療薬として知られるイベルメクチンを人が服用すると、体内にその成分が残り、吸血してきた蚊にとっての「毒」になります。

蚊は血を吸った際にこの薬成分を取り込み、中毒を起こして死んでしまうのです。

スペインのバルセロナ国際保健研究所(ISGlobal)を中心とする研究チームは、言わば人間が“動く蚊取り線香”になるこの新戦略をアフリカのマラリア流行地で試したところ、子どもたちのマラリア感染率が26%減少する効果が確認されました。

しかも、この地域では元々住民の8割近くが蚊帳を使用していましたが、それでもさらに感染が減るという“追加効果”が得られたのです。

肝心の薬の安全性についても深刻な副作用は確認されておらず、安心して利用できる可能性が示されました。マラリア制圧に向けて、人が飲むだけで蚊を退治するというユニークな方法が、大規模試験で有望であることが証明されたのです。

果たして「人間の血を蚊の毒にする薬」は、将来マラリアの新たな希望になるのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年7月23日に世界五大医学雑誌の『New England Journal of Medicine』にて発表されました。

目次

  • 蚊が飲むだけで死ぬ血にする
  • 人間の血を「飲む蚊取り線香」状態にする薬
  • 蚊以外の害虫も激減

蚊が飲むだけで死ぬ血にする

蚊が飲むだけで死ぬ血にする
蚊が飲むだけで死ぬ血にする / Credit:川勝康弘

夏の夜、耳元でプーンと蚊の羽音が聞こえただけで眠れなくなった経験はないでしょうか。

日本では蚊は夏の風物詩として不快な虫の代表ですが、熱帯地域の多くの国では蚊はただの不快な存在ではありません。

命にかかわる病気、マラリアを運ぶ深刻な「敵」なのです。

毎年、世界では約2億5000万人がマラリアに感染し、60万人以上が亡くなっています。

特にサハラ以南のアフリカでは、5歳未満の子どもたちが多く犠牲になっています。

マラリアを防ぐために重要なのは、蚊を人間に近づけないこと、蚊に刺されないことです。

そこで、これまで世界が取り組んできた主な対策は、殺虫剤を染み込ませた「蚊帳(かや)」や、家屋の壁に殺虫剤を吹き付ける方法でした。

こうした対策は非常に効果があり、2000年から2015年の15年間でアフリカのマラリア患者数を約81%も減少させる成果を上げました。

しかし、こうした方法には大きな落とし穴がありました。

近年、蚊が殺虫剤に対して「耐性」を持つようになったのです。

耐性とは、殺虫剤を使い続けるうちに蚊が薬に慣れてしまい、薬が効かなくなってしまうことを指します。

さらに蚊は、人間が蚊帳の中に入る夜間以外の「夕方や早朝」に活動したり、蚊帳の外にいる人を狙って「屋外」で刺したりといった新たな行動をとるようになりました。

これらの行動変化によって、今までのような殺虫剤や蚊帳だけでは、もはやマラリアを完全には防げなくなってしまったのです。

このように対策が頭打ちになってしまったため、新しい発想の方法が世界中で求められるようになってきました。

そこで科学者たちが注目したのが、「人間自身が蚊を退治する力を持つ」方法でした。

具体的には、人が薬を飲むと、その人の血が蚊にとっての毒になる仕組みです。

これは一見斬新な発想に見えますが、実は家畜やペットの世界では昔から行われている方法でした。

家畜に寄生虫駆除薬を投与すると、その薬が血液に残り、動物の血を吸った害虫を退治できることが知られていたのです。

この発想を人間に応用できる可能性がある薬として、科学者が注目したのが「イベルメクチン」です。

イベルメクチンは1970年代に日本の大村智博士が発見した薬で、オンコセルカ症(別名:河川盲目症)やリンパ系フィラリア症といった熱帯病の特効薬として知られています。

1988年以降、製薬会社の無償提供プログラムを通じて世界中で累計46億回以上も投与されており、その安全性と信頼性はすでに高く評価されていました。

また近年、この薬には蚊を殺す効果もあることが科学的に確認されていました。

人がイベルメクチンを飲むと血液中に薬剤が残り、それを吸血した蚊が死んでしまうという仕組みです。

これまでの研究では、薬剤が蚊を殺せること自体は確かめられていましたが、大規模に人間に投与した場合に、本当にマラリア感染を減らす効果が得られるのか、そして健康への悪影響がないかについては十分に検証されていませんでした。

そこで研究チームは、実際に多くの人々に薬を投与することで、この薬が本当にマラリア感染を有意に減らし、安全に使えるかどうかを調べることにしたのです。

しかし、実際に人間に薬を飲ませる実験をするときには、多くのことを考えなくてはなりません。

例えば、「薬を飲む」という行為自体が、何らかの体調変化を起こす可能性があります。

もし比較のための対照群が「何の薬も飲まない」状態だと、結果の違いが「薬を飲むこと自体の影響」なのか、「イベルメクチンという薬特有の効果」なのかがわからなくなってしまいます。

そこで研究チームは、比較対象として「アルベンダゾール」という寄生虫駆除薬を使いました。

アルベンダゾールは、イベルメクチンと同じく寄生虫駆除に効果がありますが、蚊に対する効果はありません。

こうすることで、「薬を飲んだ」という条件を揃えた上で、「イベルメクチンに特有の蚊への効果」を明確に比較できるように工夫したのです。

こうして大規模な試験がケニアで行われることになりましたが、このような方法で本当にマラリア感染を効果的に抑えることができるのでしょうか?

また、多くの人々に薬を配ることによって、安全性や健康への悪影響など、思わぬ問題が起こったりはしないのでしょうか?

そしてその効果は従来の方法を超えるほどのものでしょうか?

人間の血を「飲む蚊取り線香」状態にする薬

人間の血を「飲む蚊取り線香」状態にする薬
人間の血を「飲む蚊取り線香」状態にする薬 / Credit:Canva

新しい薬や治療法が考え出されたとき、それが本当に効果的で安全かどうかを確認するために、科学者たちは入念な実験を行います。

今回の研究で行われた実験は「クラスター無作為化比較試験」という方法でした。

これは簡単に言うと、地域をいくつかのグループ(クラスター)に分けて、各グループごとに異なる薬や方法を使い、その後の効果を比べる方法です。

「無作為化」とは、偶然に任せてグループを割り当てることを指します。

この方法によって、特定の条件に偏りが出ないよう公平に比較が行えるのです。

研究が行われた場所は、ケニアのクワレ郡という地域でした。

ここはマラリアの感染がとても多い地域として知られています。

この地域では以前から蚊を防ぐための「蚊帳」の普及率が85%と高く、実際に使っている家庭も約77%に上っていました。

しかしそれでもなお、多くの人がマラリアに感染し続けていたため、新しい対策の必要性がありました。

今回の実験では、クワレ郡に住む約2万9000人が対象となりました。

研究チームは、地域のコミュニティを全部で84のグループに分けました。

その後、それらをランダム(無作為)に2つの大きなグループに振り分けました。

一方のグループには、イベルメクチンという薬を月に1回、3ヶ月連続で飲んでもらい、もう一方のグループには「アルベンダゾール」という別の薬を同じ頻度で飲んでもらいました。

なぜ比較のためにアルベンダゾールを使ったのでしょうか?

それは、「薬を飲む」という行為自体が人の体調に何らかの影響を与える可能性があるためです。

例えば、「何も薬を飲まないグループ」と「薬を飲んだグループ」で比較すると、薬の効果とは別に「薬を飲んだ」ということ自体が影響を与えてしまい、薬の本当の効果がわかりにくくなる可能性があります。

アルベンダゾールはイベルメクチンと同じように寄生虫駆除には効果がありますが、蚊を殺す効果はありません。

そのため、薬を飲んだことによる影響を両グループで揃えることができ、「イベルメクチンの蚊を殺す効果」だけを明確に確認できるよう工夫されたのです。

研究では特に、マラリアの感染リスクが高いとされる5歳から15歳までの子どもたちの感染状況を詳細に調べました。

薬を飲み始めてから6ヶ月間、毎月子どもたちを検査してマラリアの感染の有無を確認し、それぞれのグループでどれくらいマラリア感染に差が出るかを比べました。

その結果、イベルメクチンを飲んだグループでは、アルベンダゾールを飲んだグループに比べて感染率が26%も低くなるという結果が得られました。

これは統計的な解析によっても確認された有意な差(発生率比0.74、95%信頼区間0.58~0.95、P=0.02)であり、単なる偶然の結果ではないことがわかっています。

つまり、この差は「実際にイベルメクチンが蚊を殺したこと」によるものである可能性が非常に高いと言えます。

さらに注目すべきは、この地域の住民の多くは既に蚊帳を使っていたにもかかわらず、イベルメクチンの効果がはっきり現れたことです。

これはイベルメクチンが、蚊帳で防ぎきれない屋外や昼間などの環境にいる蚊にも有効に作用したためと考えられます。

薬を効率よく配布できた地域ほど効果が高くなる傾向が見られたことも、この薬が広く実用化された場合の効果を予測する上で重要なポイントです。

一方、安全性についても慎重に検討されました。

薬を何万人もの人に配る場合には、予期しない副作用や健康被害が起きないかを厳密に調べる必要があります。

今回の試験では、イベルメクチンが半年間にわたり延べ5万6000回以上も投与されました。

その結果、深刻な副作用は一度も確認されませんでした。

一方で、軽度の副作用(頭痛やめまいなどの一時的な体調不良)の報告はありました。

その報告頻度はイベルメクチン群で投与100回あたり約6.2件、対照群では約3.8件と差があり、この差は統計的に意味のある増加(発生率比1.65、95%信頼区間1.17~2.34、P=0.005)でした。

ただし、この増加は一時的で軽い症状に限られており、命に関わるような深刻な問題や長期的な健康被害が増えたわけではありませんでした。

過去に世界中でこの薬が安全に使われてきた実績からも、イベルメクチンは引き続き安全に使用できる薬であることが確認されました。

しかし、この研究結果から新たな疑問も生まれます。

今回確認された26%という感染率の減少は、さらに規模を大きくして実施した場合にも同じように確認できるのでしょうか?

また、より多様な年齢層や妊婦など特にマラリア感染リスクが高い人々に対しても、この薬の安全性と有効性は確保されるのでしょうか?

蚊以外の害虫も激減

蚊以外の害虫も激減
蚊以外の害虫も激減 / Credit:川勝康弘

今回の成果は、従来の蚊帳や殺虫剤散布に追加して経口薬で「人間を蚊取り線香化」するという全く新しいアプローチが、現実の地域社会で有効に機能しうることを示しました。

結果の26%減少という数字は決して小さくありません。

特に、殺虫剤抵抗性の蚊が増えつつある地域や、蚊が屋外で活動するため従来の蚊帳では守り切れない状況では、この手法がゲームチェンジャー(状況を一変させる新戦略)になる可能性があります。

実際、今回のBOHEMIA試験はイベルメクチンによるマラリア対策としては過去最大規模のもので、その確かなエビデンスは国際的にも大きな注目を集めています。

WHOのベクター制御諮問グループも本研究をレビューし、「集団投薬によるマラリア抑制効果が示された」と評価、さらなる追試とデータ収集を推奨しました。

今後、各国の保健当局でもイベルメクチンをマラリア対策に組み込むことが検討されていくでしょう。

幸いイベルメクチンは既に安価で大量生産が可能であり、世界的にも普及が容易な薬剤です。

さらに本研究では思わぬ副次効果も報告されています。イベルメクチン投与地域では、マラリアだけでなくヒトの疥癬(ヒゼンダニ症)やシラミの感染症も減少し、ケニアの試験地では住民からトコジラミ(南京虫=ベッドバグ)が激減したとの声も上がりました。

つまりこの薬を配ることで、蚊以外の厄介な害虫もまとめて退治できる「一石二鳥以上」の効果が期待できるのです。

もともとイベルメクチン自体、寄生虫病の特効薬として「人類の病」を長年減らしてきた薬ですが、それが今度は「人類の天敵」である蚊をも倒せる武器になるかもしれないというのは、科学の妙と言えるでしょう。

さらなる課題としては、効果を最大化する投薬戦略(どの頻度でどの期間投与すべきか)や、蚊が将来的に耐性を持たないようにする工夫などが考えられます。

しかし研究チームは既に次の展望も描いています。例えば今回のケニアの試験では5~15歳児にフォーカスしましたが、今後はより幼い子どもや妊婦への投与、安全性も含め検討する必要があります。

また2022年にはモザンビークでも同様の試験が行われましたが、現地のサイクロン災害やコレラ流行で中断を余儀なくされ、大きな成果は得られませんでした。

この経験から、地域住民の理解と協力を得る重要性や、安定した医療インフラの必要性といった課題も浮き彫りになっています。

それでも「蚊を殺す薬」を使った新たな対策が示したポテンシャルは大きく、専門家はその将来性に期待を寄せています。

研究統括者のレジーナ・ラビノビッチ氏(ISGlobalマラリア根絶イニシアティブ部門長)は「この研究は、既存の手段が効きにくくなっている地域でマラリア予防の未来を切り拓く可能性があります。安全性と効果が今回の大規模試験によって実証された薬剤を使い、他の蚊対策と組み合わせることで、マラリア制圧の効果を高められる点で画期的です」と述べています。

飲むだけで蚊を寄せ付けないどころか殺してしまう――そんな夢のような「飲む蚊取り線香」が、将来マラリアから世界中の人々を守る切り札となるかもしれません。

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元論文

Ivermectin to Control Malaria — A Cluster-Randomized Trial
http://dx.doi.org/10.1056/NEJMoa2411262

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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