腸内細菌の勢力図をたった36時間で思い通りに塗り替える――そんな夢のような戦略が現実になりました。
慶應義塾大学と北里大学の研究チームが発表した新手法では、「断食」と腸内細菌の大好物である腸内細菌利用糖(MACs)を組み合わせることで、特定の有用菌(いわゆる善玉菌)を短期間で選択的に増やすことに成功しました。
従来、腸内環境は安定していて短時間で大きく変えるのは難しいとされてきましたが、この方法はその壁を乗り越え、抗生物質を使わずに腸内フローラを素早く有益な方向へ導ける点が画期的です。
さらにマウス実験では、腸の免疫を支えるIgA抗体の産生量が通常条件に比べ最大で約18倍にも増加しており、健康維持や感染症予防にも新たな道を拓く可能性があると注目されています。
薬に頼らず短期で腸内環境と粘膜免疫を同時に制御できるこの新手法は、ヒトの健康管理にどのような革新をもたらすのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年7月5日に『BMC Microbiology』にて発表されました。
目次
- 頑固な腸内細菌を変える新しいアイデアとは
- 36時間の絶食で腸内環境はこう変わった
- 薬に頼らない新・腸活法の可能性と課題
頑固な腸内細菌を変える新しいアイデアとは

「最近、なんだか体調がいまひとつ……」
そんなとき、ヨーグルトや食物繊維を意識的に摂って「腸活」を始めたという経験がある方は少なくないでしょう。
実は私たちの腸の中には、なんと100兆個以上もの細菌が住み着いており、それらが一つの大きな生態系(腸内細菌叢、またはマイクロバイオータ)を形成しています。
腸内細菌というと消化の手助けというイメージが強いかもしれませんが、最近の研究で、それだけにとどまらない重要な役割が次々と明らかになってきました。
腸内細菌が作り出すさまざまな代謝物質は、私たちの免疫機能を調節したり、脳の働きや気分、さらには炎症反応までコントロールしていることが分かってきています。
つまり、腸内細菌は単なる腸の居候ではなく、私たちの健康を左右する重要なパートナーなのです。
そのため、腸内細菌のバランスを良好に保つための方法、いわゆる「腸活」が注目されるようになりました。
その腸活のカギとして期待されているのが、食物繊維やオリゴ糖などの「腸内細菌利用糖(MACs)」です。
これらの糖は、人間自身の消化酵素では分解することができませんが、腸内細菌にとっては絶好の「エサ」となります。
腸内細菌がこれらの糖を利用することで腸内環境が整い、健康維持や病気の予防につながることが期待されているのです。
ところが、腸内環境には一つ難しい課題がありました。
それは腸内細菌叢の持つ「頑健性(レジリエンス)」、つまり外からの働きかけに対して非常に強い抵抗力を持っていることです。
この頑健性はちょっとやそっとで腸内細菌叢が崩れないという点で有用ですが、腸活がなかなか上手くいかない原因でもあります。
腸の中には多種多様な細菌がいて、常に生存競争を繰り広げています。
そのため、特定の菌だけを短期間に大きく増やそうとしても、他の細菌との競争や相互作用が邪魔をして、なかなか思ったような効果が得られないことが多かったのです。
しかし最近の研究で、ある興味深い事実が明らかになりました。
それは「絶食」によって、この頑健性が一時的に弱まり、腸内細菌の勢力図が一気に変化するというものです。
実際に、絶食後には腸内細菌の種類や割合が劇的に変化し、その状態が絶食後もしばらく続くことが報告されています。
そこで今回、研究チームは大胆なアイデアを考えました。
「もし絶食によって腸内細菌叢が一度リセットされるなら、その直後に特定の菌が大好きなMACsを与えれば、狙った細菌だけを効率的に増やせるのではないか?」というものです。
いわば「腸内フローラのリセット&狙い撃ち給餌作戦」です。
このユニークな発想から、短期間で狙った腸内細菌をピンポイントで増殖させる、薬に頼らないまったく新しい腸活方法を開発することが、本研究の大きな目的でした。
では実際に、この斬新な作戦はうまくいったのでしょうか?
36時間の絶食で腸内環境はこう変わった

「腸内フローラのリセット&狙い撃ち給餌作戦」は本当にうまくのか?
答えを得るため研究者たちはまず、マウスの腸内細菌の変化を詳しく調べることにしました。
具体的には、健康なマウスをいくつかのグループに分け、それぞれ異なる条件を与えて、腸内環境がどのように変化するか観察しました。
あるグループのマウスには通常どおりのエサを与え、別のグループにはエサを全く与えずに36時間の断食をさせました。
さらに、断食させたグループの中でも、一部のマウスには断食の最中にMACs(腸内細菌利用糖)を与えました。
こうすることで、MACsが断食による腸内細菌の変化にどう影響するのかを確かめたのです。
実験を開始すると、まず「断食」そのものに驚くべき効果が現れました。
わずか36時間食事を止めただけで、マウスの腸内細菌の構成は劇的に変化したのです。
ただし、細菌の種類自体が減ったというよりは、もともと腸にいる細菌の割合が大きく変わりました。
これまで優勢だった細菌が激減し、一方で別の細菌が一気に勢力を広げる、まるで細菌同士の主導権争いが起きたような現象でした。
通常、腸内の細菌バランスは非常に安定していますが、断食という強烈なストレスによって、一時的にこのバランスがリセットされたような状態になったのです。
では、この「リセット状態」の腸にMACsを与えると何が起きるのでしょうか?
ここで研究チームは興味深い結果を発見しました。
実は断食直後の腸内細菌叢に与えるMACsの種類によって、増える細菌が全く違ったのです。
特にフラクトオリゴ糖(FOS)という種類のMACsでは、腸に良い影響をもたらすことで知られる「ラクトバチルス属(乳酸菌の一種)」が非常に顕著に増殖しました。
通常、FOSを与えるだけではラクトバチルス属はほとんど増えませんが、断食直後に与えると劇的な効果が出ました。
まるで荒れた土地(断食後の腸)に、乳酸菌が好む栄養を与えることで、一気に乳酸菌が元気に繁殖を始めるようなイメージです。
他にもガラクトオリゴ糖(GOS)やα-シクロデキストリン、さらにヒトの母乳に含まれるヒトミルクオリゴ糖(HMO)を与えると、それぞれ異なった細菌が増殖しました。
HMOを与えた場合には、乳酸菌だけでなくビフィズス菌に近いグループや、パラバクテロイデスという種類の細菌も増えました。
つまり、「どの細菌を増やしたいか」を決めて、それに最適なMACsを選ぶことによって、腸内の細菌叢をかなり精密に操作できる可能性が示されたのです。
さらに研究者たちが注目したのは、この作戦による腸の免疫機能への影響です。
腸の免疫を守る役割を持つIgAという抗体に着目して調べたところ、断食後にFOSを与えたマウスでは、糞便中のIgA量が通常のマウスに比べて約18倍という非常に高い値にまで上昇していました。
実はFOSとラクトバチルス属の組み合わせが腸のIgA産生を高めることは以前から知られていましたが、今回の研究では「断食後に与える」という新しいタイミングが、これまでにないほど強力にIgAを増やしたのです。
論文でも『FOSの摂取とラクトバチルス属の存在が腸管でのIgA産生の増強と関連する(FOS intake and the presence of Lactobacillus is associated with enhanced IgA production)』と報告されています。
これは、腸内の細菌の変化だけではなく、腸の免疫力そのものも短期間で大幅に改善できる可能性を示しています。
薬に頼らない新・腸活法の可能性と課題

今回の研究によって、「断食で腸内細菌叢をリセットし、狙った菌を短期間で選択的に増やせる可能性があること」が示されました。
これまで腸内環境を改善するためには、ヨーグルトや食物繊維を毎日地道に摂り続けるといった長期的なアプローチが一般的でした。
しかし、それらの方法では短期間に腸内環境を劇的に改善することは困難でした。
なぜなら、腸の中には非常に多くの種類の細菌が存在していて、それらが複雑に絡み合いながら共存しているため、外からの刺激に対して簡単に変化しないという強い「安定性(レジリエンス)」があるからです。
たとえば、ヨーグルトを食べても、すでに安定した細菌同士のバランスを崩して新しい乳酸菌が定着するのは簡単ではありませんでした。
ところが今回の研究では、まず腸内細菌の頑固な安定性を「断食」によって一時的に弱めることができるという重要な発見がありました。
一度食事を完全に止めると、腸内細菌は普段の栄養を失ってバランスが大きく崩れます。
すると、それまで抑えられていた菌や隠れていた菌が一気に増える機会を得るのです。
研究者はこの絶好のタイミングを利用して、特定の菌が大好きなMACs(腸内細菌のエサ)を投与しました。
すると期待どおり、そのエサが好きな菌だけが短期間で爆発的に増えることが確認されたのです。
これはまるで腸内という土地をいったんきれいに整地したあとに、特定の種だけを集中的に植えて育てるような戦略といえます。
その結果、わずか36時間という非常に短い時間で狙った細菌を効率よく増やすことが可能になりました。
この新しい腸活法が特に興味深いのは、腸内細菌を増やすだけではなく、腸の免疫機能を大きく高める可能性まで示した点です。
実験では、断食後にフラクトオリゴ糖(FOS)を与えることで腸内の乳酸菌(ラクトバチルス属)が急激に増え、腸内の免疫を支えるIgA抗体が通常より18倍も増えました。
腸内の免疫が高まると、感染症を防いだりアレルギーを抑えたりする効果が期待できます。
実際、FOSとラクトバチルス属の組み合わせが腸のIgA産生を促進することはこれまでも知られていましたが、今回のように「断食直後に与える」という方法が、これほど強力な効果をもたらすとは予想外でした。
こうした発見は、腸内細菌をターゲットにした新しい健康増進法や疾患の予防・治療法への道を拓く可能性があります。
特に腸内細菌は、肥満や糖尿病、アレルギーや炎症性腸疾患など多くの病気と深い関連があることが近年の研究で明らかになっています。
そのため、将来的には人間ドックなどの検査結果をもとに、「あなたの腸にはこの善玉菌が不足しているので、このMACsを使った短期集中腸活を行いましょう」というような、個人に最適化されたオーダーメイド腸活プログラムが提案されるかもしれません。
今回の研究で確立された方法が、そうした「腸内環境改善プログラム」の最初の一歩になる可能性があるのです。
ただし、現段階での研究成果はあくまでマウスでの動物実験に基づくものです。
ヒトに対しても安全かつ効果的にこの方法が適用できるかどうかは、今後の詳細な検証が必要になります。
特にヒトの腸内細菌は個人差が非常に大きく、どのMACsをどのくらいの期間与えるのが最も効果的なのかを明らかにする必要があります。
さらに断食というアプローチ自体の安全性や適用可能な条件を明確にすることも重要な課題です。
それでも、今回の研究で示された新しい戦略は、「断食による腸内細菌叢のリセット」というユニークで科学的に刺激的なアプローチを提案しています。
腸内という見えない宇宙を相手に、食事の工夫だけで細菌の種類やバランスを自由にコントロールするというこの大胆な方法は、将来の健康管理に大きな革命をもたらす可能性を秘めているのです。
腸内細菌との新たな付き合い方が見つかったいま、この研究が私たちの暮らしや健康にどう影響していくのか、ますます目が離せません。
参考文献
絶食と腸内細菌利用糖の併用により腸内環境を短時間で再構築-特定腸内菌を選択的に増殖させる精密な食事介入戦略-
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/2025/7/9/28-168161/
元論文
Fasting builds a favorable environment for effective gut microbiota modulation by microbiota-accessible carbohydrates
https://doi.org/10.1186/s12866-025-04140-y
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部