鋭い歯と敏捷な動きで恐れられる海の捕食者・サメ。
しかし、そんな最強の捕食者にも意外な「弱点」があるかもしれません。
実はサメの一部の種は体を逆さまにひっくり返されると、突然ピタリと動かなくなるのです。
この現象は「トニック・イモビリティ(Tonic Immobility)」と呼ばれ、まるで意識を失ったように筋肉の力が抜け、トランス状態のように「フリーズ」してしまいます。
豪ジェームズクック大学(JCU)は、サメがトニック・イモビリティを起こしてしまう進化的な原因について調べてみました。
研究の詳細は2025年6月7日付で科学雑誌『Reviews in Fish Biology and Fisheries』に掲載されています。
目次
- ひっくり返るとフリーズ?サメに見られる不思議な現象
- 「進化の遺物」である可能性と失われた理由
ひっくり返るとフリーズ?サメに見られる不思議な現象
トニック・イモビリティとは、一時的に自発運動が停止される生理的反応で、哺乳類や鳥類、魚類など広い範囲の動物に見られます。
特にサメやエイの一部では、体を背腹方向にひっくり返す、つまり「逆さま」にすることで、この状態が誘発されることが知られています。
この状態に入ると、筋肉は弛緩し、呼吸だけを続けながらじっと動かなくなるのです。
動物園や研究施設では、この性質を利用してサメを一時的におとなしくさせる場面もあります。

しかしこの反応の「意味」は長らく謎でした。
サメが「死んだふり」をして捕食者から身を守っているのか?
それとも交尾時にメスがこの状態に入ることで争いを避けているのか?
あるいは刺激が強すぎると感覚を一時的にシャットダウンしてしまうのか?
そこで研究チームは今回、13種のサメやエイ、ギンザメを対象に背腹反転(逆さま)によるトニック・イモビリティ反応の有無を調べ、その進化的な分布を詳細に解析。
その結果、この現象はサメの中でも一部の種だけに見られ、他の種ではまったく現れないことが明らかになったのです。
「進化の遺物」である可能性と失われた理由
解析によって、トニック・イモビリティはサメの進化史において原始的(祖先的)な特徴である可能性が高いと示されました。
つまり、数億年前のサメの祖先には広くこの反応が見られたものの、その後の進化の過程で少なくとも5回以上、異なる系統で独立して、生存に必要のないこの反応が失われたと考えられています。
では、なぜ一部のサメはこの反応を「やめた」のでしょうか?
チームが注目したのは、生息環境です。
トニック・イモビリティを示さない種の多くは、浅瀬の複雑な底生環境(サンゴ礁や海藻林など)に住んでおり、狭い隙間に入り込んで獲物を探したり、休んだりしています。
もしそんな場所であやまってひっくり返り、突然「フリーズ」してしまえば、身動きが取れずに命を落とすリスクが高まるのです。
一方で、外洋や深海のように構造が単純な環境では、トニック・イモビリティによる行動停止が大きな不利になることは少ないでしょう。
したがって、環境によってはトニック・イモビリティが有利にも不利にもならず、自然淘汰の対象にならずにそのまま一部のサメの間で残っていると考えられます。

また、捕食者から身を守るためという説に関しても、例えばシャチはサメをわざとひっくり返してトニック・イモビリティ状態にし、無抵抗になったところで肝臓だけを食べてしまうという事例が報告されています。
つまりトニック・イモビリティはむしろ捕食者(シャチ)にとって都合のいい「弱点」になってしまっているのです。
トニック・イモビリティは、かつては何らかの機能を持っていた可能性があるものの、現在では適応的な意味を持たない「進化の手荷物」になっているのかもしれません。
サメという生物の一見無駄のない完璧なように見える姿にも、こうした過去の名残や、環境に合わせて消えていった特徴が潜んでいるのです。
参考文献
Sharks Do Something Bizarre When Turned Upside Down, And We Don’t Know Why
https://www.sciencealert.com/sharks-do-something-bizarre-when-turned-upside-down-and-we-dont-know-why
元論文
Tonic immobility in cartilaginous fishes (Chondrichthyes): function, evolutionary history, and future directions
https://doi.org/10.1007/s11160-025-09958-3
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部