フランスのパリ社会科学高等研究院(EHESS)で行われた研究によって、古今東西の学者たちの知的好奇心には驚くほど一貫したパターンが存在することが明らかになりました。
分析の結果、学者が興味を抱く対象は大きく「人間」「自然」「抽象」という3つの領域に集中しており、その割合は時代や地域を超えてほぼ共通していたのです。
言い換えれば、人類の知的好奇心には誰もが共有する普遍的な“好奇心の骨格”が備わっているのかもしれません。
科学者たちはこの発見により、私たち人類の知の探究心に潜む共通点に光を当てています。
私たち一人ひとりの「知りたい!」という衝動は、この普遍パターンとどう結び付いているのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年05月25日に『Scientometrics』にて発表されました。
目次
- 制度の鎖を外して“純粋な知”を測る
- 人・自然・抽象で世界は動く
- 『知の設計図』は本物か
制度の鎖を外して“純粋な知”を測る

このユニークな研究を行ったのは、フランスのジャン・ニコド研究所などの研究者チームです。
彼らが注目したのは、科学に対する人々の好奇心が歴史を通じてどのように発展してきたのかという点でした。
現代の研究者たちが何を探究するかは、大学制度や研究費用など様々な要因に左右されがちです。
そこで研究チームは、より純粋な「知的好奇心」のパターンを見るために、現代の制度的影響が及ぶ前の時代に目を向けました。
具体的には、近代的な大学や科学の職業化が進む以前に生きた学者たちの記録を分析対象に選んだのです。
研究者らは歴史的な人物データベース(図書目録やWikidataの情報を含む)を活用し、西暦1700年より前に生まれた正確には13,556人の学者を抽出しました。
1700年以前という時代設定には理由があります。
17世紀末頃まで(近代的な大学制度や科学の職業化が本格化する以前)は、研究の門戸が比較的開かれており、学者たちは現在よりも自由に複数の分野を渡り歩くことができました。
実際、当時は「○○学者」といった肩書きを複数持つ博学の士も珍しくなく、現代のような制度的・専門的な枠組みによる制約が少なく、より自由に複数の分野を探究できました。
研究チームはこうした歴史上の学者たちの職業や専門分野の記録に着目し、人間の知的好奇心に潜む大きなパターンを見いだそうとしました。
「私たちは科学の歴史的発展に興味を持ちました」と本研究の著者の一人であるユゴー・メルシエ氏は語っています。
現代とは異なる環境下にいた昔の学者たちを調べることで、純粋な知的好奇心がどのように現れるのかを探ることがこの研究の狙いでした。
人・自然・抽象で世界は動く

研究チームはまず、歴史上の学者たちの興味・関心分野同士のつながりを分析しました。
13,556人の学者のうち、複数の専門分野にまたがって活躍した「ポリマス(博学者)」とみなせる人物は2,317人に上りました(約2,300人)。
これら博学の学者たちは同時に複数の領域で功績を残しているため、彼らの組み合わせを分析することで一人の学者の中でどの興味と興味が共存しやすいかを把握できます。
研究者たちは各学者の専門分野(例えば「数学者」「哲学者」「地理学者」など)をノード(節点)とし、一人の人物が持つ複数の専門の組み合わせに基づいてノード同士を結ぶネットワークを構築しました。
こうして得られた「学問的興味ネットワーク」を解析することで、どの分野の組み合わせが歴史的によく見られるかが浮かび上がってきたのです。
さらに分析では、地域偏重による誤差を減らす工夫も行われました。
歴史記録は欧州の学者について豊富な一方、その他の地域の記録は少なめです。
そこでヨーロッパ以外の全地域の学者データに対し、欧州の学者データを同数だけ無作為抽出して加えることで、世界全体を均等に反映した「グローバル版ネットワーク」を構築しました。
また欧州のみ、非欧州のみのネットワークも別々に作成し、各地域間でネットワーク構造がどれほど似ているかを統計指標(WeightedJaccard類似度)で比較しました。
こうした精緻な分析の結果、どの地域においても学者たちの興味関心の組み合わせパターンは驚くほど共通していることがわかりました。
ヨーロッパであれ中東や東アジアであれ、特定の関心領域どうしがしばしばセットで現れるのです。
例えば「哲学」と「数学」は歴史上たびたび対になって登場しますが、その傾向はパスカルやコペルニクスといった西洋の学者だけでなく、イスラム世界のアル=フワーリズミーや中国の徐岳(じょがく、XuYue)のような人物にも見られました。
同様に「天文学」と「数学」、「神学」と「歴史」といった組み合わせも文化圏を越えて繰り返し観察されました。
研究チームが興味の対象分野をネットワーク上でグループ分けしていくと、最終的に3つの大きな領域が浮かび上がったといいます。
第一は「人間」に関する領域で、哲学・神学・歴史学など人間や社会、倫理にまつわる分野です。
第二は「自然」に関する領域で、動物学・植物学・地理学など自然界を観察・分類する分野が含まれます。
第三は「抽象的な事柄」に関する領域で、数学・天文学・音楽理論といった数理的・形而上学的な分野です。
調査対象の学者のほとんどがこれら3つの領域の1つ以上に属しており、そして各学者がどの領域に属するかという分布は世界のどの地域でも驚くほど似通っていたのです。
実際、各地域で3領域の比率は3割前後に収まり、大きく偏ることはありませんでした。
例えば近世ヨーロッパでは自然科学への関心がやや高めでしたが、それでも3領域の比率は概ね均衡が取れていたのです。
中世からルネサンス期に至る各時代を通じて、3領域それぞれに属する学者の割合に顕著な長期的傾向は見られず、どの時代にも3つの領域すべてに関心を寄せる人々が一定数存在したのです。
メルシエ氏は、「抽象領域に関心を持つ学者の割合がどの地域や時代でも非常に似通っていたことは驚きでした」と述べています。
また具体的な例として「数学に興味を持つ人は世界中どこでも歴史よりも天文学に興味を持つ傾向がある」と指摘し、興味の組み合わせには世界共通の特徴があると説明しています。
言い換えれば、数学と天文学、歴史と神学はセットになりやすい傾向が見られました。
『知の設計図』は本物か

では、なぜ人類の知的好奇心にはこのような共通の“三分割パターン”が現れるのでしょうか。
研究チームはこの問いに対し、人間の認知的・心理的な特性が背景にある可能性を指摘しています。
つまり、人それぞれの「物事への興味の持ち方」に違いがあり、その違いが結果的に探究分野の選択に表れるのではないか、という考え方です。
例えば、抽象的な理論や論理的思考に強く惹かれる人は数学や哲学といった分野に興味を持ちやすく、観察や分類など地道な実証に魅力を感じる人は動植物や地理といった自然研究に向かい、人間の物語や倫理的な問いに心を動かされる人は歴史や神学など人文的な領域を志向しやすい──このように生得的な「知的好み」の違いが学者の興味分野を三者三様に導いているのかもしれないのです。
一方で、興味分野の組み合わせに見られるパターンすべてが先天的気質で決まるわけではないとも考えられます。
研究チームは、個人の認知スタイルと環境要因との相互作用も無視できないと述べています。
歴史上には特定の領域の研究がとりわけ盛んになる時代や場所がありました。
例えば大航海時代の17世紀オランダでは、海外探検の機会に恵まれたことで博物学(自然研究)の発展に弾みがつきました。
こうした環境上の要因により、ある時期には自然領域への好奇心が刺激されることもあったでしょう。
しかし興味深いことに、たとえ特定の領域が隆盛しても他の領域への関心が消えてしまうことはなく、どの時代・社会でも3つの領域すべてがしっかり存在感を保ち続けていたのです。
これはすなわち、知的好奇心の3本柱とも言うべき領域(人間・自然・抽象)は、環境が変われど常に人々を引き付ける普遍的な魅力を備えていることを示唆しています。
研究者たちは、こうしたパターンの一貫性は単なる偶然ではあり得ず、人間の好奇心には共通の基盤(アーキテクチャ)が存在する可能性が高いと指摘します。
まるで人類共通の「知の設計図」があるかのように、好奇心の向かう先には骨格のような枠組みが潜んでいるのかもしれません。
もちろん、この研究にはいくつか留意すべき点もあります。
扱った歴史データは完全ではなく、地域によって記録の量に偏りがあることは否めません。
また歴史上、記録に残った女性学者の数は極めて少なく(本研究のデータベースでも男性13,000人超に対し女性は144人のみ)、サンプルは必ずしも多様性を十分反映していません。
さらに「数学者」や「神学者」といった学問分野のカテゴリ自体が時代や文化によって意味合いが異なる可能性もあります。
しかし、そうした制約を踏まえてなお、今回明らかになった全体傾向の一貫性は注目に値すると研究者らは述べています。
偏りのある不完全な記録であっても、特定の興味の組み合わせが複数の世紀や大陸にまたがって繰り返し現れるという事実は、人類の好奇心の在り方に何らかの普遍的構造が存在する証拠だと考えられるからです。
今回の研究成果は、「人類の知的好奇心は骨格のような構造を持ち、時代や文化を超えて共通している」ことを大規模データで裏づけた事例としては、最も包括的な研究の一つと言えます。
研究チームは、今後さらなる研究によってこの仮説を深掘りしたいとしています。
例えば歴史的な文献本文をデジタル化して解析することで、当時の学者たちが具体的にどんな問いに興味を抱いていたかを詳しく調べることや、これまで見落とされがちだった女性・非欧州圏の知的貢献を記録し直すことなどが挙げられています。
メルシエ氏は将来について「研究者や科学者の動機が時代や文化によってどう変化するのか(あるいは変化しないのか)を、さらに深く理解していきたい」と展望を語っています。
人類共通の好奇心のパターンを解明することは、私たちが何を知り、なぜ知ろうとするのかという根源的な問いを考える上で大きな手がかりとなるに違いありません。
人が人である限り、自分たち自身(人間)と世界の仕組み(自然)、そしてそれらを超えた原理(抽象)――この三つへの探究心が、これからも私たちの知的冒険を支える不変の柱であり続けるのかもしれません。
元論文
The structure and evolution of scholarly interests from antiquity to the eighteenth century
https://doi.org/10.1007/s11192-025-05340-z
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部